運の良し悪しについて

生きていると、運のいい人と悪い人ってのはやっぱりいるような気がする。理論上というか確率論的にはどちらの人数もゼロではないという事になっている。どこで運の良し悪しを判断するかはここでは置いておこう。

運がいいって言っても、千差万別だし。別に金がいっぱいあって女に不自由しなくて、精神が安定していて、好きなことが出来る……ってわけでもないよな。ここら辺の想像力のなさが小市民的な感覚で情けないのだが。

自分は基本は普通の人より運が悪い。多分、小中高と俺を知っている人は、俺の人生の悲惨さ、運のなさを人一倍悲惨に語ってくれると思う(笑)

ただ、ギャンブル的な事をすると『ありえない』と言われる程度には最初だけ異様に引きがよかったり、数年に一回クリティカル・ヒットを出してくれることがあるような感じだ。でもそのクリティカルヒットも個人的な事で、人に羨まれるようなことではない。

ただ基本的には、その運を打ち消すように普段はツイてないし、恵まれてもいない。どちらかというと底辺をやっとのことでヒィヒィはいつくばっていることの方が多い。ただ、死にそう(死にたくなりそう)になるくらい最悪な事はギリギリのところで回避するという運はあるようだ。じゃないと俺は生きていない(実際、今までの人生で冗談でなくマジな死を覚悟したことは何回かある)

運の良し悪しも、結構人間関係にも左右される部分もよくある気がする。別にスピリチュアルとか運命の出会いとかのオカルティックなやつじゃなくて、目の前に存在しうる、その人の特性によって引き起こされる、些細な出来事みたいなのの積み重ねみたいなやつ。
(例:怒りっぽい人→ところ構わず当たり散らす→ヤバい人とトラブルになる 的な)

自分の場合、表情や顔を見ただけで、『善悪的な意味で』人を判断することが出来ないというか、いまいちピンとこない。職場の諸先輩方に言わせると、色々な人を見ていくうちにいつの間にか顔を見ただけで(美醜とは別に)、ヤバい人、近づかない方がいい人、嘘つきなんかはすぐわかるらしい。

先輩方に言わせると。そういうのがわからないのは「お前がまだ若いからだ」そうですが。本当かなぁ? 遠まわしに、俺を甘っちょろいお人好しと言われているような気がしなくもなくはないが、実際のところどうなんでしょう。まあ、お人好しはいい意味で自分らしさだと思うし、まあいいかな。

人を見ただけで判断できる域には達してないので、実際に判断できるかどうかは十年後位を待つしかないわけだけれど。そういった話を聞いていると、運の良し悪しってあるところでは、とっさの的確な判断みたいなもので、経験則による選択である程度まではカバーできるのかもしれない。その判断をする脳が、判断をミスりやすいと運が悪いと呼ばれている状態を運が悪いというんじゃないかな? ちょっと一面的すぎる見方だけど。

まあ、物事には外的要因、内的要因ってあるから、ケースバイケースではあるのだけど、生まれや育ち、貧富の差、センス・スキルの差(これは場合によっては時間を犠牲にすることで補うことが出来るかもしれない)のような不平等で埋めづらい差とは違い、ある程度選択肢のあるレベルの場合は運もある程度まではコントロール可能なんじゃないかなって思う。

ただ、コントロールが上手く行くかとか、状況と要素やタイミングとかそういった不確定な要素もあるから、そこら辺は自分ではどうしようもない。コントロールできる運とできない運ってのがあるのだろう。自分たちにできるのは、コントロールできる方の運をいい方に持っていくしかないんだろうね。

スヌーピーじゃないけど『与えられたカードで勝負するしかないのさ』って事なんでしょう。