同人サークルをやって思ったこと

(これは2012年8月25日にMOZA MOZA のWEBサイトに公開したものの再録です)

どうも、初めましてロナルド始澤(しざわ)です。私、しがない文章系オリジナル同人をやっております。
 MOZA MOZAが同人サークルとして歩みを始めたのは2007年ごろ。初めての本を作ったのは2008年。あまり、文章も上手くなく、能力も他のサークルさんと比べるとかなり低いので、今までに出した本もあきらかに数は少ないんですが。それでも、続けていて感じることがあるので、少しだけ文章にしてみようとおもいます。
 これはヒットを生み出す方法ではありませんので、ご容赦ください。また、私自身の創作ジャンルがオリジナル小説なので、二次創作や、他ジャンルとはまた少し価値観が違います。ついでにMOZA MOZAはピコ(弱小)サークルなので、説得力はゼロです。冗談半分で聞きましょう。

■上手くなくても、続けていた人の方が残る。

不思議なんですけど、最初からそこそこ上手い人(注:マジで上手いという意味ではない)って、すぐに筆折っちゃって、続かない人って多いんです(もちろん例外あり)。もちろん最初からみんな上手いわけではなくて、下手なことは下手なんですが、それでも下手なりに上手い人です。

 いわゆるセンスのいい奴と言われる人ですね。普通の人がぶつかるような困難を感覚的にピョンと感覚的に飛び越えちゃえるような人。
 
最初から、マジで上手い人は下準備に時間をかけまくって、納得してから作品を作り上げますから、例外です。その人たちは別ルートを通り抜けてますから。それ以外にもマジで上手い人っていうのは、知り合いに同人活動している人がいて、ある程度のステップアップの流れを把握していたり、能力がある人に創作の姿勢でいい影響を受けていたり、コネが合ったり……つまり運の世界です。
 
それで、そこそこ、うまい人が残らないのかという問題ですが。もちろんケースバイケースですし、複合要因の場合だってあります。ただそういった人の中には、そこそこの能力で一歩足を踏み出すことはできたのだけど。

  • 自分を信じていなかった(確固たる自己を確立していない、他人の評価や価値観にひきずられる。など)。
  • もともとのモチベーションが低い(情熱がない、もしくは打ちのめされた)。
  • 周囲の評価を信じられない
  • 過剰にポジティブ、自分を過大評価しすぎる。
  • 過剰にネガティブ、自分を過小評価する。
  • 指導者的な立場の人にプレッシャーを与えられる指導法を受けた。(例:根性論(応用が利かない)。過剰に欠点を指摘する。非効率か、もしくは逆に能力低下させる指導法)
  • 指導者が無能。
  • 勉強法が悪かった。
  • 同人にかかるコストが割に合わない。

などの理由で潰れていった人が、少なからずいるように思えました。私の場合、まだ折れてないので折れた人の心理は完全に理解できるわけではないのですが……。ただ、友人であれ、指導者であれ過剰なアドバイスやプレッシャーは必ず潰れます。人によってプレッシャーの許容量はマチマチですから、それに輪をかけて根性・精神論を言われたら、殺意を覚えるか嫌になって筆を折るのは当たり前です。
 
ついでに言うと教えることって、思っている以上にテクニックが必要です。もし誰にもできるなら指導法、教授法、教育学、教育心理学認知心理学といった学問なんて何で存在するのでしょう?
 
ただ、感じたのは、『創作に対するペース配分を間違えて失速したわけではない』んです。どっちかというとスケジュール管理や締切もきちっと守り、優等生。もっと頑張れば、上に行くのも簡単そうな人たちだった。という事です。
 
それと相反するように、初っ端、箸にも棒にもかからなかったタイプの人。もともと能力なんて、まったくなくジャンルが絵であろうが、文章であろうが、底辺。と呼ぶにふさわしい人たち(私も最初の頃は、主語と述語の把握が一切できていなかったという経験を持つ。今でももストーリー構成や文章能力はほかの人たちに比べると著しく低いです)
 ひどい場合には周囲に暴言吐かれたり、八つ当たりか、ストレスのはけ口みたいに叩かれたりという、ある意味、理不尽なくらい酷い目にあった可愛そうな人たちが結構生き残ってるんです。
 
逆に残っている人たちには、少しだけ共通点のようなものが見えてきます。

  • 好きなことがあって、それが情熱になっている、もしくは情熱に変化した。
  • 歩みや技術の進歩は遅くとも、とりあえず続けている。
  • 自分のビジョンが明確に固まってる。
  • 元々期待されてないので、相手の攻撃や批判が屁でもない。(醒めまくっている。そんなに熱くなってどうするの? 状態)
  自分のまわりで、同人であろうが、趣味であろうが続いている人ってこんな感じです。まあ、サンプル数は少ないので、もちろんそれに当てはまらない人もたくさんいます。ただ、こういった人は残りやすい。創作に対する信念の様なものがあるんだと思います。

■努力が報われるのは、自分で完全にコントロールできるものだけ。

さて、そんな人たちの中でも、軌道の乗ってきたあたりでコケる人というのもいます。その人たちというのは。

 努力じゃカバーできない事にぶつかってしまった人たち。

 物事というのは。要素、状況、友人、知り合い、そういったことが複合的に集まって一気に発動する。どれが欠けてもダメ。同じ時間軸、同時のタイミングで一気に起きること。それが運。別の視点から見てみましょう。仮にあなたがゲームを作る際のプロデューサーだとしましょう。
 ゲームを作るには理屈の上じゃ、最低でも下の七つの要素が必要なはずです。(これはかなり単純化してますから現実の現場だと、制作側の人間の性格とか納品先の問題とかかなり不確定な事が多々あります)


  1.  企画(どんな内容で、ボリュームはどれくらいか)
  2.  資金(モノを作るのにはコストがかかります)
  3.  時間(まとまった時間がないとロクなもの出来ないよ)
  4.  シナリオ(ゲーム内容の骨格)
  5.  プログラム(ゲーム自体の骨格、ユーザビリティの大元)
  6.  イラスト・グラフィック(視覚へのアプローチ)
  7.  音声・音楽(世界観を際立たせる)

 どれが欠けてもゲームとして存在しえませんね。企業だったら、正当な対価を払い求人募集すれば集められます。
 1~7は要素です。すべて、探せばどこかしらに存在しています。でも単体じゃゲームになりません。きっちり集めて、作り上げないと出来上がりませんね? 
 では、運の場合はどうでしょう? 必要な要素が必要なときに存在するとは限らないんです。ましてや、必要な要素がこの世に存在し得ないという事さえ考えられるのです。
 努力は積み上げることが出来ます。でもそれは単純な技術的プロセスのみです。物事は複雑化すればするほど、コントロールが出来なくなります。そして、様々な複合要因が生まれます。それがいわゆる『運』と呼ばれるものです。原因を突き止めるには、要因が大きくなってしまう。不確定要素が采配を決めることになり、結果論、確率論で割り切るしかできなくなるのです。


■同人は下手だろうが上手かろうが、時間と道具さえあれば誰でも参入できる。

同人作家だろうが何だろうが、なりたくてなるもんじゃないです、することをしてれば、なっちゃうんです。イベントに申し込んで、マンガ、評論、小説……コピー誌だろうがオフセ本だろうが作っちゃえばあなたはもう同人作家。
 作品を作る側はもちろんプライドは持つべきですが、それを他人に押し付けてはいけません。とりあえず書きましょう。そして書いたものを本にして同人誌にまとめましょう。そして同人イベントに出て自分の作品がどの程度なのか把握してみると面白いでしょう。
 まあ、オリジナルだろうと二次創作だろうと最初は売れません。普通は一桁です。逆に最初からそこそこの冊数を頒布できれば、あなたには何かしらの魅力があるという事です。『同人は見てもらえない、売れない』という人もいますが、緩衝剤といわれるジャンルの中にも少なくはあれど、人というのは歩いています。
 たとえ、ジャンルの規模が小さかろうが何だろうが、『魅力的なもの』というのは、異性で考えてみてください、見た目や肉体的にバランスのとれた美男美女は、たとえ好みじゃなくても足を止めて見つめてしまう何かがあります。作品だって同じです。
 
少し話はオリジナル創作の方面にずれ込みますが、あなたが商業を意識しているならば、正直な話『同人で売れないものが、商業で売れるはずがない』んです。もし新人賞に出したもしくは出すつもりのある原稿があるのなら、それを同人誌にしてみるのもいいと思います。
 どうせ、賞レースに出したって、審査する人の相性によっては二次落ち、三次落ちなんてザラなんだから。そんな原稿でも同人誌で出せば、新人賞に出したよりは、多くの人に目を通してもらえるはず。イベントに出れば、あなたの作品を見てもらえるゼロよりは確率は上がります。同人誌作っても、誰も読んでくれないってのはあなたの作品に魅力がないかひきつける何かが足りないってことです。
 
読者を惹きつけるものは、タイトルだったり、表紙だったり、中身だったり千差万別です。あなたが見落としてる美点があるかもしれません。
 
もし最悪なことに、現在よりさらに不況が進み長引けば、本当にコンテンツの最前線が下手すればオリジナル同人になる可能性だって無きにしもあらず。商業じゃ冒険できないんだから。まして、技術が発展したことでDTP環境整えて、印刷費さえ賄えれば、マンガだろうが小説だろうが商業クオリティの本なんて簡単に作れる時代です。原稿の遅れ、実務の遅れ以外はお金でどうにかなります。
 
同人をすることで、今までよりも、視点が広がるかもしれないし、同じような境遇の人の作品を見て何かいい刺激を受けるかもしれない。それに他人に頼らず、表紙のデザインから版面、ページ構成からなにから全部自分で何でもやることで、あなたが持っているイメージに近い形で本が作れるんです。それも誰の指図も受けずに作れるんです。
 
大切なことを問います。

 『あなたが作品を作る目的は何ですか?』

 プロになりたいのか、ただ単純に作品を多くの人に見てもらいたいのか、あふれ出る情熱を紙に書きだしたいのか、自己満足の為か、それとも誰かにチヤホヤされたいのか。まずはそれを考えてください。

 目的・目標を逆から見てみると、一番効果的なアプローチというのが見えてきます。
 一昔前ならともかく、このご時世は出版不況だから、プロ目的・プロを目指しているのなら、同人の成果アピールが、ビジネスの側面から、ある程度の固定客が認められるというレベルになれば、商業への営業アピールになる可能性も高い。今はどの業界もビジネス的に絶対利益が出るのが確実でない限り、殆ど動きません。むやみやたらに新人賞だけに絞ってにプロ目指すのはバクチです。
 
このご時世、利用できるものは利用する。これからは就職だろうが何だろうが正攻法よりも脇道を狙うのが賢いかと。既成事実を作って積み上げること。後は続けられるかが勝負です。

■続けられるのも一つの能力

成功したり、何か目立つことをしない限り人はついてきません。得体のしれないものに近づいてくるなんてほぼ皆無なんです。でも、それに絶望しないでください。何かを得ようとするなら、結果が出るまで続けるしかないんです。
 
同人をやっている人は、なんやかんやでみな孤独です。自分の価値観だったり、内に秘めたものを表現するんですから、みんな固定観念から外れているんです。そして、読者が求めているのも普通とは違うもの。――あなたにしかできないことを求めているんですから。

 孤独に慣れること。これも同人を続けていくためには大切なことかもしれません。
 人と同じことをやっていては、可能性は広がりません。ほんの些細な事でも可能性が広がることを思いついたら、勇気を出して実行しましょう。それはあなたの武器になります。
 
人とは違う方法――あなたにしかできないこと――を見つけてください。それがあなたのオリジナリティ。
 
いまだ、まともな結果を出していないサークルがエラソーにほざきましたが、これが自分なりに同人やってみて思ったことです。
 これ読んで、胡散臭いと思ったり不利益を被りそうと思ったなら全て鵜呑みにはせず、自分なりに判断して情報の取捨選択、整理をしましょう。その判断がリテラシーってやつです。  それでは今回はこの辺で、アディオス!