何かを成し遂げるむずかしさ。

「お前は何かを成し遂げたか?」そう問われると『いいえ』と首を横にふるしかない。成し遂げるのはもしかしたら難しくないのかもしれない。でも、自分が、もしくは他人が納得できる形というのはそうそう簡単なものでは無いと私は思う。
 さらに言えば、何かを成し遂げたからと言って評価されるとは限らない。成し遂げたからって偉くなれるわけでもない。何もない無能だって、豪勢な椅子にふんぞり返っている奴だっている。

冷静になってみると、俺は何でこんなことをしているのだろうと多々思うことがある。まがい物の物書きの真似ををしながら、パチパチと一人、孤独にキーボードに文字を打つ。ボッチなのは昔から。世の中の『普通』と言われる人たちとはどこか波長が合わないようだ。とはいえ、ドライながらもユルい付き合いはしたりするし、悲惨な状態かと言われると、そうでもない。今の所は。

時々、無性にすべてを投げ出したくなる。諦めとは違う何とも言えない気持ちだ。定期的にそんな気持ちがやってくる。自分の感情に寄り添うというのも難儀なものである。案外強烈なので囚われると面倒くさい。世の中の大半はこの辺で匙を投げる感じがする。
 まあ、生きていると時々、何もないのに思索に浸ったり、沈んだ気持ちと寄り添う事は良くあることなのだろう。他の人の事は全く知らないけど……。

毎度の事なので、それが治まるのを待つのも自分の仕事みたいなものである。収まったら、また意味もなく、ノートPCのまえで、ぐうたらに文字を打ち続けるのである。結局何も満たされることのないまま孤独と寄り添い続けて。まあ、筆が乗ってくると高揚感があって楽しいんだけどね! ただ形にしたいというものが頭にあるから、頭の中の事を、満足のいく形で再現することだけ、ぼんやりと思い続けながら、画面に文字を打ちつける。
 何かを成し遂げるっていうのはどうやったら思い通りの形になるのかを考えることかもしれない。ただ、普通の人は何かを成し遂げようとすると、完成品を先に思い浮かべてしまう。大きくて複雑で目の前に立ちはだかる。
 成し遂げたっていうのは結果論であって、どうこう出来ないのかも知れない。世の中の成し遂げたと吹聴する人はどうも胡散臭い。実際は成し遂げたところで満たされない事や変なわだかまりが残るモノだと思う。

本当の意味で成し遂げるって、相当難しいよね。形にすれば成し遂げたことになるのだろうか? なんかよくわからないや。