僕はたいした理由もなく君の手を握る 第六章

シャツとズボンをまくり上げると、俺はケバケバしい箱に入ったあっちの世界からの輸入されたの粉末洗剤を床に振りまいた。デッキブラシをリノリウムの床に勢いよくこすり付ける。汚れがひどいのか、洗剤は泡立つどころか水と汚れが混ざり灰色の液体に変化するだけだった。

「なあ、こういうのって密輸になるのか?」

 俺は、洗剤の箱をわざとらしく振りながらミハイルに聞いた。

「さあ? 正規の手続き以前に表向きは、アストラーニェとは一切交流がないってことになってるし。大義の上ではこれは存在しない。それ以前に、政府自体が何も考えてないだろ」

「うるさくなるとしたら、何かしら外交問題が起こってからか」

「俺たちにはどうすることもできないんだし、考えるだけ無駄だ」

「だよな」

 また床をこすり始めた。

 ここ最近は、アストラーニェ製の工業製品が社会情勢が悪化しているために市場に回らなくなってしまった。

 おかげでまともなモノが正規の値段で手に入らない。とはいえ、モノが全然ないわけではない。どんなルートがあるのか知らないが、アストラーニェの外の世界からの輸入品が市場に回ってくるようになった。

 無論、値段は輸入品という事もあるが、最近はそれに加えどの店も法外な値段を吹っ掛けている。物価も、日に日に右肩上がりだ。

 おかげで、俺も床に洗剤を振りまく行為に罪悪感を覚えることになった。


―――


 ミハイルに初めてつれてきてもらった時の事務所は悲惨なものだった。

 小さなオフィスビルの三階。

 賃料が払えなくなった業者から。内装・設備含めて、そのまま丸ごと引き取ったそうだ。前の所有者の荷物は処分されてなく、書類やら何やらが至る所に散らばり、部屋中に埃がたまっていた。きっと『掃除するつもり』のまま、何年も放置されていたのだろう。

 おまけに、床を歩くと、黒い小さな虫が一斉に動き出す。前の持ち主は掃除という概念が無かったらしい。至る所にありえないような汚れがこびりついている。洗面所にかけられていたタオルは黒ずみ、カビまで生えていた。

 部屋の中は全てにおいて敬意が払われていなかった。

 俺も部屋に魔術資料やら古いガラクタを溜め込むが、こんなベタベタするような汚さではない。度を越えている。

「まあ、どこもこんな感じだよ。値段相応、おあつらえ向きな部屋ってとこだ」

 デザインの酷さと、経年のくたびれに目をつぶれば机や、応接用のソファーもあり、時間をかけて綺麗にすれば職場の見た目は様になるのは確かだだった。

 安物買いの銭失いな気もするが、金がないのだから文句は言えないのだろう。

「発掘調査にはもってこいだな」

「掃除ついでにこのガラクタの中を宝探しが出来る。おまけにここにいれば雨風がしのげる、素晴らしいことじゃないか」

「うれしくて涙が出るな」

 口から出てくるのは皮肉めいた言葉

「まあ、ここじゃハッピーな気分を装わないとおかしくなる」

「確かに」

 本当にひどすぎて逆に笑うしかなかった。


―――


 汚れを雑巾(ぞうきん)に吸わせていると、外で激しく大きな爆発音が響いた。しばらくして小さな衝撃波が部屋に伝わり、まだ掃除していない場所からの埃(ほこり)が部屋に舞った。

 二人とも体をびくっと震わせ、物陰に隠れた。急いで窓の方を覗いたが外の様子は見えなかった。

「一体なんだったんだろうな?」俺は言った

「音からすると魔法だろうな。多分、最近流行の魔法少女の抗争かもな」

「ここいらも、色々とヤバくなってきたな」

「最近は何処も同じだ。俺たちもしばらくは仕事には困らなくなる」

「相変わらず考えがエゲツ無いな、死んだら元も子もない」

「それなら死ななければいい。それに、誰かがやらなきゃ汚れ仕事は無くならないさ」

 ミハイルは微笑った。自信があるというか、なんというか賭け事の様なものに対する勝算の様なものがある、そんな感じの雰囲気を言葉の端々から、かんじよれた。

 俺にはミハイルが、なんとなくこの先の行く末を知っているんじゃないかとさえ思えてきた。