The Smoke 第三話:ポーカーフェイス




Episode 3
Poker face

第三話:ポーカーフェイス

1.

「飲まないの?」金髪の女は食事相手のグラスの中身――ライムが沈んだスパークリング・ウォーターを見つめて言った。
  「お酒は思考が鈍るからね。それに、なるべく君と楽しい時間を長く過ごしていたい」彼女を見ながら澤瀉和久は答えた。
  その言葉に金髪の女は口元を緩め、微笑んだ。
  彼女の名前はソフィー・クレール。彼女は和久にとって、昔からの知り合いだった。
  「ねえ、この後時間ある?」それはどことなく、息がかかっただけで、チョコレートが溶けてしまいそうな言い方だった。
  「何をするつもりだい?」
  「わかってるくせに」そう言って、ソフィーは色気のある笑みを見せた。

* * *

  
衣擦れの音が聞こえる。
  スモークはハンドルを握っていた。カーラジオ代わりに盗聴している警察無線が、銀行強盗の行方を伝えている。
  前を走る車との車間距離に気を付けつつ、警察無線が指示する方向へ先回りする。その間もバックミラー越しに映る、背を向けて着替えている金髪の後ろ姿を眺めていた。着替えが終わるころには、目標の銀行強盗のワゴン車の姿が見えていた。後ろからつけているのを悟られないように距離を保つ。
  人気のない一般道に入ったところで、対向車が来ないことを確認し、反対車線に出て、前のワゴン車を一気に追い越す。
  「サイドキック! 準備は出来てる!?」と後部座席から声が聞こえた。
  サイドキック――相棒とよばれスモークは呆れたような表情を、フロントガラスに向けつつも「もちろん!」と答えた。
  「さっさと片をつけるわよ!」
  車のサンルーフが開いた。すぐさま純白のドレスに、細工の施された銀色のドミノマスクを着けた金髪女が、物騒な見た目の武器を持ち、上半身を乗り出した。
  強化ゴム弾を仕込んだバズーカ。軽量ながら頑丈で特注の機械制御システムが搭載されてある。
  照準を合わせ、発射する。
  白のワゴン車に着弾した。
  衝擊と共にワゴン車のフロントが潰れ急ブレーキによるタイヤの強烈な摩擦音が一帯に響いた。そしてスピン、ガードレールに激突。車が止まった。
  中に乗っていた人影が、死に物狂いで車外に出る。金髪の女はそんな奴等に容赦はなかった。数分も経たないうちに一網打尽になっていた。
  「オモチャにしてはまずまずね」
  彼女は表情も変えず容赦のない自警活動を淡々とこなす。その姿からポーカーフェイスと呼ばれていた。なにせ彼女の表情から、何を考えているのかは当人以外は、誰にも読めないのだ。彼女は様々な国を飛び回っているせいで、どちらかというと極東自治区以外の場所で名を馳せていた。

* * *

「いいのか、これで?」犯人を縛り上げながらスモークが言った。
「安全なところに逃げられなくしておけば、あとは警察が何とかしてくれるわよ。それに明日、朝早いんでしょ。少しぐらい眠っておかないと体に悪いわよ」
「と言っても、この時間じゃ眠らないで直接職場に向かって、うとうとしていた方が安全だ」
「それならわたしの部屋に来て、休んでいきなさいよ。わたしの部屋ならこの時間でも一、二時間くらいの仮眠なら取れるはずよ。何事にもそれ相応の振る舞いっていうのがあるの」
「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」

2.

目を覚ますと、隣には金髪の裸の女。
  眠っている。
  起こさないように和久は静かにベッドから抜け出し、バスルームで熱いシャワーを浴びる。
  起き抜けの緩慢な動作。
  熱いシャワーを体に当て無理やり覚醒させる。
  シャワーの当たった皮膚はピンク色に染まり体中に血が巡ってくるようだった。
  髭を剃り、一通り身支度を終わらせた頃、気配に気づいたのかソフィーが起きてきた。
  何も身に着けず、堂々とした姿で、さも当たり前のように目の前に立っている。
  「もう行くの?」と彼女は言った。
  「ああ」
  「ネクタイの結び目が汚らしい」そう言うと、ソフィーは和久のネクタイを解き、結び直しはじめた。「シャキッとしなさい」
  「裸で言われてもな……」
  「裸で相手してもらえるだけありがたいと思いなさい。私には、お金を払ってでも私と一緒にいたいなんて人間がいっぱいいるのよ。これでもメディアにでれば女優として扱ってもらえるんだから」ソフィーの細い指がネクタイの結び目を襟のところまで引き上げる。
  「生殺しって言葉知ってるかい?」
  「丸一日時間作ってくれるなら、相手してあげてもいいけど?」
  思わぬ返しに、一瞬の間があったものの、和久は何事もなかったように笑顔を見せ「それはいい」と答えた。そのまま、忘れ物はないか確認するかのように部屋を見回して「じゃ、いってきます」と言って振り返った。
  「いってらっしゃい」去っていく後ろ姿にソフィーはつぶやくように言った。
  前日の夜アリバイ作りの為に、ホテルの駐車場に止めておいた車に乗り込んだ。駐車場から出る際にパパラッチに写真を撮られたが、こちらとしては好都合だ。
  何事もなかったように、アクセルを踏み込む。あくびをかみ殺しながらハンドルを操作する。眠ったといってもたかが知れていた。睡眠不足のせいか、集中力が上がらない。交通量の少ない時間帯というのが唯一の救いだった。

3.

「社長、昨日はいかがでしたか?」秘書の第一声はそんな言葉だった。
  「悪くはなかったよ。私見をいえば、威力が強すぎでこの国だと問題になる。威力調整が出来るようにする必要がある。細かい使用感に関しては当人に直接聞いてくれ」
  「承知しました、既に技術部の手配は済んでいるので、すぐにでも対応できます」
  「技術部の最高責任者は伊達じゃない、か」
  「それに秘書として長い間そばにいるんですから、あなたの思考ルーチン位、把握済みです」
  「二足のわらじで大丈夫か?」
  「社長こそ少しはお休みになった方がよろしいのでは? 働き過ぎですよ」彼はにやりと笑った。
  「社員はちゃんと休めてるのか?」
  「うちの会社の福利厚生を充実させたのは貴方ですよ。残業代は一〇〇%出ますし、仕事内容によって、労働時間をフレキシブルにしたり、長期拘束のプロジェクト後はバカンスに加え、更に一か月余分に有給取らせたり、資本主義社会の中では人道的ですよ。多少能力主義的な所はありますが。それにうちの社是は〝十分な余裕〟ですからね」
  「スケジュールはどうなってる?」
  「繁忙期も過ぎましたし、二週間ぐらい大きな予定はありませんから、一日休んだところでどうってことありません。一週間くらい休んでもスケジュール調整すればどうにかできますよ」
  和久は考えるような仕草をしながら「そうか……」と言った。

4.

久しぶりに和久は丸一日休みを取った。特に何をする気も起きなかったので、一日を静かに何もせず過ごすつもりだった。数分前までは。
  視線の先にはソフィーがバスローブを羽織り、冷蔵庫から勝手に冷えたシャンパンを持ってきて、普段なら誰にも見せない様なリラックスした姿でソファーに寝転がっていた。
  「勝手に頂いているわよ」そういってシャンパングラスを和久に向けてかかげながら「相変わらず何もないのね」と言った。
  「僕は、現実にあまり関心がないからね」
  「じゃあ、なんで生きているの?」
  「死ぬ必要もないからさ」
  和久がそういうと、ソフィーは表情には見せなかったが、どことなくムッとしているような沈黙があった。
  その時突然、玄関のベルが鳴った。
  ドアを開けると、見知った女性が立っていた。極東自治区警察の十枝舞警部補だった。彼女は伸びた髪を後ろでまとめ、パンツスーツの上からトレンチコートを羽織っていた。
  「やあ、警部補」
  簡単な挨拶を交わすと、彼女は視線をずらした。
  「また別の日にうかがった方が良さそうね」と警部補は言った。一〇〇パーセント隙のない完璧なスマイルがそこにはあった。
  和久はちらりと後ろを見ると「ああ、これは……」
  警部補は「いいのいいの。ただ、職場復帰の挨拶ついでだから。さすがに人のプライベートに文句を言うような無粋な真似はしないわよ。仮に軽蔑したとしても」内容はともかく口調は自然な、普段どおりだった。
  確かに何も知らない人が見れば、単純にバスローブを羽織った金髪美女をはべらせているようにしか見えなかった。
  「申し訳ない」
  「謝る必要はないわよ。何か悪い事でもしたの?」彼女は笑顔を崩さない。
  「いや、そういう訳ではないけど……」
  「変な罪悪感は体に毒よ」そう言って、いたずらっぽい笑みを警部補は浮かべて去って行った。とはいえ、からかいに十分に満足しているようには見えなかった。
  「あの人誰?」
  「警察の人」
  「なに、バレてるの?」
  「そういう訳じゃない。ただ勘が鋭くてね」
  「気をつけなさい、ああいうのは後々厄介になる。それで、これからどうするの?」ソフィーはそう聞いてきた。

5.

「それで、私は何をすればいいの?」
  助手席から、純白のドレスを着た女がささやきかける。銀色のドミノマスクをつけ、準備は万端。と、いった雰囲気だった。
  「俺の手伝いをしてくれればそれでいいさ。まだ試してない方の武器の使い勝手とその調節も兼ねて」
  「ふうん」
  「何か問題でも?」
  「いいえ、ただ、貴方がどんなふうに仕事をするのかなって……やっぱり、昔とは違うでしょ……」
  「だとしても、俺に、ヒーローとしての振る舞い方を教えてくれたのは君だ」

* * *

日付が変わる。
  この街では、最低でも一日一回は事件が起こる。どこよりも混沌とした環境だ。些細な擦れ違いでさえ、文化の違うものが集まりぶつかれば、小さな傷でさえ大きな怪我につながってしまう。そういった土地柄だった。
  極東自治区内には海はない。
  そのおかげで、海からの直接的な違法輸入を防いでいる。効果はどれくらいあるのか判らないが、外国人の多さのわりに、麻薬や、武器弾薬の規制されている物品が流入してくる数は少ない。とはいえ他の地域と比べてしまえば、多いともいえる。
  隠しやすい場所があるのも、違法なものが溢れる一因ではあった。大規模テロの爪痕である立ち入り禁止区域の一部にも、反社会勢力の縄張りがあるのだ。
危ない取引は主に、そこで行われている。
  おまけに、立ち入り禁止区域からそれほど離れていない地域の一角に工業地帯があった。周辺の道路には、材料や、原料を詰め込んだ大型トラックに紛れて、ばらされた部品が機械部品として、工業地帯に流入している。
  スモークはポーカーフェイスに工作活動内容を簡単に説明をすると、
  「……それで違法な武器を見つけて処分すればいいのね」と確認するようにポーカーフェイスは言った。
  「ここでなら、一暴れするのにも問題はない」
  改造して威力を弱めた信号拳銃に煙幕弾を詰める
  「なにそれ」彼女は尋ねた。
  「スモーク・ガン」
  「陳腐な名前」
  「サイドキックらしくていいだろ? 目立たなくて」そう言って、にやりと口角を上げた
  「そんなので大丈夫なの? まあ、いいわ」

* * *

工場の中には簡単に潜り込めた。
  殆んどの人員が、それぞれの部署に配置され作業させられている。システマチックに運用されているせいなのか、休憩時間にならないと、ほとんど人は出歩かないようだ。
  作業場のスケジュールを調べてはみたのだが時期と作業内容によって左右されるらしく一定ではなかった。
  ただ休憩時間の始まりは〇〇、十五、三十、四十五分といった十五分刻みの時間で始まり、三十分もしくは一時間程度の休憩が与えられるというのはわかっていた。
  大半が、それぞれの持ち場での作業がメインであり、監督や現場責任者以外は他人の行動を逐一見ているようなことはなかった。
  そういったことをポーカーフェイスに説明をしつつ、行動計画を伝える。
  「……ということだ。なるべく人のいない所を中心に全体を把握しつつ動いてくれ。休憩時間が始まったら、人がいなくなる作業場中心に活動すればいい」
  「わかったわ」
  「何よりも適切に運用されているシステムは、突然のトラブルに弱い。システムをどう滞らせるかを念頭に置いてくれ三十分後に落ち合おう」

6.

  スモークは宿直室へ向かう。足音も立てず、誰にも悟られないように。宿直室には警備員がふたり、監視カメラを時折見ながら暇を持て余していた。
  スモークは、そっと宿直室の中に入り足音を立てず催眠ガスをまく。動きが鈍ったところを襲いかかり、警報を鳴らされないように気絶させる。
  気を失った警備員を動けないようにしばりつけた。
  一段落すると、カメラの映像が映ったモニターを覗く。コンピュータで映像を管理しているようだがカメラはネットワークにつながっているらしく、無効化させるわけにはいかなかった。宿直室の中のカメラの向きをコントロールし、しばりつけた警備員が映らないように細工をして、部屋を後にした。
  部屋を出た、その瞬間だった。警告が鳴る。気づかれた。
  どこからともなく、足音が聞こえる。工場内の至る所から武器を持った男たちが現れた。
  「奴だ! 殺せぇ!!」
  有無を言わずに、発砲してきた。
  催涙弾をスモーク・ガンに装塡し、発砲。
  一帯が煙に包まれる。続けざまに催涙ガスを撒き、工場内を駆け抜ける
  短い間隔で、機関銃の連射音が聞こえてくる。スモークは、脱出経路に向かって走り出した。
  「こっちよスーパーヒーロー!!」先に待っていたポーカーフェイスと合流する。
  「急いで! ここから逃げるわよ!」
  銃を持った者たちが外部からも、工場内に突入してきた。
  スモークは再度煙幕弾を発射した。一帯に煙が充満する。しかし、その間も銃声は止むことが無かった。対策は十分らしい。
  銃弾の雨を搔い潜る。
  「こっち」
  ポーカーフェイスの細い指が、スモークを引っ張る。
  その間にも、
  警報。
  銃声。
  悲鳴。
  ドサっという人が倒れ込む音。
  様々な音がまじりあって阿鼻叫喚の地獄のような状態になっていた。
  二人は止めてあった車に、急いで乗り込む。
  「エンジンかけて」
  「失敗だな」
  「何を言っているの?」呆れているようだった。「それよりも全速力で、走りなさい。ゲートが閉じるわ! 今なら逃げられる」
  ゲートが閉じられる。
  「アクセル!!」そういうと、ポーカーフェイスは、急いで携帯電話を叩き始めた。
  「早く。時間ないわよ」
  ボディーを擦りながらも、車はゲートをすり抜けた。
  道路へ出て、限界までスピードを上げて車を走らせる。
  閃光が走る。
  しばらくして、遠くから爆発音が聞こえた。
  バックミラーを覗くと、オレンジ色の光が工場街を包んでいた。
  「言ったでしょ。ね、ほら」
  「爆発物仕込んだのか」
  「頭使いなさい。武器工場なんだから、弾丸も、火薬もそれなりにある。だったら有効活用しなきゃ。それに、火事を起こしておけば、警察と消防は工場の事故処理にかかりきりになる、こっちのことなんて大した問題じゃないわ。必要なのは結果よ。小競り合いに負けても、戦局で勝てばいい。手段を選ばず、使えるものは使う。それが鉄板。どんな時も冷静にね」

7.

遠くから、赤く燃える工場街を見つめていた。もう後ろからは誰も追ってこない。
  ポーカーフェイスは、手に持った銃を愛おしそうに見つめていた。
  「それは?」
  「工場で見つけたの。さすがに、あなたのところのオモチャはこういう場面じゃ使い勝手が悪すぎる」そういうと彼女はマスクをかぶった時のいつもの鉄面皮を崩した。「さて問題です、これから私はこれをどうするのでしょう」擊鉄を上げる。そしてスモークに答える暇を与えずに答えを言う。
  「答えは……私はこれから、貴方を銃で擊ちます」
  と、言って思いっきり、強くスモークの身体を抱きしめた。
  「ヒーローとして振る舞うなら、ヒーローらしく演じてみなさいよ」そういってポーカーフェイスは唇を重ね、体を密着させる、スモークの肉体に硬いものを当てると、「さよなら」と彼女はそう言って、引鉄を引いた。
  銃声が響く。
  そして足元には薬莢が転がり、煙が一筋、銃口から漏れ出していた。

第三話 ポーカーフェイス 終

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10/23 COMITIA 110 スペースNo. ね14a
10/24 第十九回文学フリマ ブースNo. ウ-27
MOZA MOZAにて小説新刊『The Smoke (BOOK 1)』頒布予定です。

・A5サイズ 二段組 92ページ(表紙込み)
 収録:第一話-五話+あとがき
 頒価:600円(イベント価格)
 表紙イラスト:阿野 史

ブロマガで不定期連載中のパルプ小説から出てきたような覆面ヒーロが活躍するハードボイルドなヒーロー小説です。アメコミとかスーパーヒーローがお好きな方にお勧めです。