コミュニケーション能力なんかクソ喰らえ!!

今回は当たり前のこと? を当たり前のように語ろうかと。まあ、バカみたいな自己啓発本で、さんざん既出なことを自分なりの表現で書き綴ってみようかと。
ということで、今回は皆様大好きコミュニケーション能力。
 とりあえず今の社会のコミュ力重視の風潮は中指立てて F**K YOU! なわけですよ。さらに言えば理系より喰えるスキルが身につかない文系オタクは一番割を喰うわけで……俺は静かにささやかだけど不安なく幸せに暮らしたいだけなのに、いろいろハードモード。

私自身、どっちかというとコミュ障側の人間です。中学時代はニキビだらけで天然パーマ、眉毛ボーボーという風貌で、更にオタク趣味していたせいもあって、女子からは虫ケラ以下に気持ち悪がられていた記憶があります。(救いがあったのは同学年の男子の半数以上がオタクに理解があった)、高校時代は脱オタ系サイトとか見たりして外見は多少マシにはなったが自意識過剰に陥りもう暗黒時代。今となっちゃ笑い話ですが、当時は結構キツかった覚えがあります。

とりあえず、今回は私のようなオタクやらナードやらのコミュニケーションでドツボにはまるタイプの人に対して記事を書きます。正しいかどうかはわからない。でも、何か参考になれば嬉しいな。
 今の自分も彼女いないし、稼ぎも平均以下、将来に不安アリアリ。大学卒業してから友達付き合いがめっきり減って、何をするにも余裕でぼっち。非正規雇用で将来につながるスキルはゼロ……と二十代中盤に入ってしまったのに、いまだに悲しい状態の野郎ですが。案外やっていけるもんです。

まず最初に言っておきます「どうせ私なんか……」と自信を持てないのは普通!!。

というか、そういう人は結構魅力的な方の人間です。賢くて、肉体的にはトロいかもしれないけど、人一倍頭が回って、考えることが出来ることの出来る人です。ただ過剰に考えすぎてネガティブな方に言っちゃう、そしてダメダメスパイラルにはまる、素敵な人です。
 いわゆる文化系テンプレ人間。
 少しだけなら、萌え萌えだけど、度を越すとウザくなる諸刃の剣。

こういうタイプって周囲から否定的な言葉を、ご丁寧に毎日のように喰らっていて、学習性無力感にさいなまれている人も多数であろうと思います。
 基本的に一番の対処法は環境を変えること。それが一番。でも実際は生活するうえで、お金、家族、その他いろいろのしがらみがあるわけです。なかなかチャンスがやってくるわけではないです。

ダメだと思ったら、少しだけ行動を変えること。

難しいことじゃないです。用は通勤通学、買い物へ行く道、帰り道何かを歩くとき、いつもと違う道を歩いて目的地へ着こうというのと同じことを、日常行動でするという事。別に、目的地にたどり着くことが目的なら悪いことじゃないし、誰からも怒られない。別のルート開発をしてみようってだけのこと。

人と話すのが苦手なら、とりあえず下手糞でも笑顔を作っておくこと。平均的な人間(一般人)って笑顔は好意と取ります。逆にしかめ面やニラむ、無関心や無表情も威嚇行為。つまり、相手を攻撃してるのと同義です。だから笑っておくってのは大切です。
放っておいてほしいなら、笑顔は絶やさない方がいいです。

スルーするのに一番効果的なのは笑顔で挨拶。質問されたら、その質問に丁寧に答え、余計な事を言わない。

何、考えてるのかわからない不気味なアジアンスマイルだろうが何だろうが何もしないよりはマシです。
 IQの低いタイプのバカ相手にはストレートに意思を伝える(バカなんだから察してもらえるわけがない、社会階層や人種が違うと思って諦める位のノリで対応)

世の中、そのままの私を理解してくれる人。そんな都合のいい人なんかいません。だから、人前に出るときは身だしなみをきちんとしたり、スーツやジャケットを着たりするんです。
まあ、そのままの私を理解してくれる人が存在するかという問題は、確率論的にはゼロではないですが、正直宝くじを当てるより確率が低いです。あきらめた方が賢いかと……。
 そのかわり、いい人は腐るほどいます。
 そういうひとは地味で主体性があまりないので、相手にされなくてダダ余りですよ。中にはハッとする美男・美女も沢山、お顔立ちが、あまりパッとしない(わかりやすく言うとブス・ブサイク)でも、アプローチの方法を変えれば輝ける人ってかなりいます。
 でもね、魅力的なものがある人に限って欠けているのが、客観性。(友人身近な人を除いた)第三者視点って奴です。

でも、やっぱり自分自身ってのは一番わからないわけです。考え方の主体ですから。私だって、良くわかりません。
 さらにいえば身近な人の意見っていうのも難しい所で、日常生活、生活の中から得た偏見、悪意、間違っている善意ってのが少なからずあります。だから、信用度が少し下がる。無いよりマシですが。

コミュニケーションってのは『警戒している相手の警戒を解く』行動なわけで、一人の人間が話す時になって無意識に

・外見(周囲に合わせたり・人にいい印象をもたれようとしているか)
・喜怒哀楽がはっきりわかるか(表情の豊かさ)
・挨拶(最低限のコミュニケーションは可能か)
・日常会話(気が合うか)
・語彙(頭がいい人か悪い人か、特殊な才能があるか)
・興味の幅(モノの見方)

 などを見たり感じたりする、ちょっとした会話、行動でそういったのを理解しようとするわけです。
緊張というのは、警戒が完全に取れていないってことです。コミュニケーションをとるってのは無害です余っていうのを示して警戒を解くってことです。
 気を緩めるってわかり合うのに不可欠なんです。
 人間なんて、程度の差はあれど優柔不断。つまり何にも決められないし、感情だってムラがある。(さすがに、過度なヒステリーや『正しい/間違っている』だけのグレーゾーンのない極端な思考回路の方は病院へ行った方がいいと思いますが……)

本来のコミュニケーションってのは、あなたに危害を加えない無害な人アピールだと思います。相手が見たら自分はどう思うかをちょっと考えるだけで、コミュ障レベルでも、マシにはなると思う。

ただ、近年のコミュニケーション能力重視は、無いものをあるように見せる。って状態だと思うからあんまり好きになれん。更に形式を重んじちゃうから余計厄介になるわけで……。口先三寸、人当たりの良さだけが取り柄の奴がいい思い出来る(中にはそう見えるだけで見えない努力をしている人もいる)。

面接だって、本当にその人を知りたければ、コーヒーとお茶菓子片手にお笑い番組かなんか見せて、一緒の空間に居させた方がわかる気がします。コミュニケーションなんて、形式ばったものじゃなくて、ゆるいモノなはずなんですよ。

一緒に楽しんで、笑って、起こって、悲しむ。それが最高のコミュニケーション。そう考えればそんなに難しくない。本来はそういうものであるはずなんだから。自分なんか自信は無くて気弱でパッとしない方が人間的には好きですけどね。

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おまけと言っちゃなんですが、ちょっと学生よりではありますが、人生にコケちゃった人に対して役に立つかわからないアドバイス

基本、流動性のないところ(学校、職場)でリカバー利かないところだと、逃げるが勝ち。特に学校では、システム上、一人一人に目の行き届いた指導は不可能。精神病む前に逃げろ、義務教育レベルなら思っている以上にリカバーは簡単だ。(大手学習塾なんか、できるやつでなくとも半年、一年程度の先取り授業を普通にやってる)

対人恐怖になったら、都会の雑踏に紛れて、コミュニケーションとらなくていいから人の空気に慣れるといい。都会の雑踏の中なら、誰もあなたを気にしない。さらに言えば人間関係がうっとおしい奴、マイノリティな立場にいる奴は人の多い都市部や都会と言われるところに出るといい。東京や都市部のほうがモノも、仕事も、人も多く多用な人の価値観を認めてくれる。

モノやお金だけが財産じゃない。知識が何よりも財産だ。だから勉強はしておけ。あなたの頭の中の知識はあなたが死ぬまで(死んでも)誰も盗むことは出来ない。
 そして自分が得た知識だけは、失うことなく与えることも出来る。――それを人は『愛』と呼んだりする事もある。

わりと、偏差値高いところはいじめが少ない(例外はもちろんある)。正直な話、頭の良さと人格のよさはある程度比例する。底辺に近ければ近いほど、問題は起こりやすい。不良がいい奴とか、見た目があれだけど思いやりがあるってのは幻想。家庭や、環境に問題があるから性格が荒むんだからさ。まともなわけがない。
 いじめっ子を相手にしないってのは、相手にしなくて大丈夫な距離まで逃げてからすること。――大半の人はそこを間違えてる。

ようは、自分が辛くならない程度に距離を取れ。そして、表情を柔らかく。無害で優しい人になるか、そういうのに慣れない人は装うこと。

尊敬する人間がいないならば、自分が尊敬される人間になればいい。そういうもんだ。