作ったものを残しておくことの重要性

とりあえず、ゆっくりとまた、小説を書き始めたわけなのだが、筆の進みは遅く、テキストエディタを立ち上げても一文字もタイプできないという日もままある。そんな、現実逃避の一つとして、ブロマガの記事を書いていたりするわけです。
 今回のタイトルはは『作ったものを残しておくことの重要性』。作品を作り上げたら残しておくことの大切さについて話そうと思います。

 いまのところは、非常勤講師(講師ではあるが時間契約。つまりバイトとあまり変わりはない)として、どうにか薄給をやりくりしながら印刷費を捻出しているわけですが。それが続けられる保証は何処にも無く戦々恐々としてたりもします。まあ、趣味に生きるとなるとリスクは覚悟の上なんですけどね。毎回まとまった金をドブに捨てているようなもんなので、とりあえずの昨今の目標は印刷費を売り上げで賄えるようにする。だったりします。
 それでも創作同人というジャンルで、割と自分の好きなものを書いていると思っているワタクシではありますが、残念なことにモノだけを書いて飯が喰えるわけでもなく、悲しいことに世の中の基準から言うと文章に関しては素人もしくは、素人に毛が生えた状態から抜け出せない状態なのですが。それでも四つのタイトルを同人誌という形で拙くはあるものの本にできているだけマシなのかなとも思ったりもします。

書いたものを残したり、形にしておくというのは後々役に立っていきます。創作者ならわかると思いますが完成して、出来上がったばっかりの作品て、心理的に恥かしさがあって読めなかったりするんです。たとえ原稿チェック、添削の時と同じ文章でさえも自分はしばらくは読めません。
 だから即売会でだったりで、立ち読みしてくれたり、買ってくれると安堵したり、誰もスペースに立ち寄ってくれないとものすごく凹んだりするわけです。主導権は自分から離れ読者に渡っているのですから。
 それでは、残した作品がいつ役に立つのかというと、数か月後から数年後まで、人によって差はあれど、新しい作品を作るときです。私の場合、原稿に詰まったり、自分に自信を無くしたときにパラ読みします。そうすると、色々解ってきたりするんです。誤字脱字以上に自分の文章の癖や、ぎこちなさ、構成の甘さ、今だったらこういう風にするのに……といったような点が。自分で気づけたりします。
 本当は、出来上がったものを数か月間醗酵させればいいんだろうけど、同人イベントに出る手前、どうにかして中途半端でも形にしなきゃという感情が先にでちゃいます。実際自分のスペースに毎回のように足を運んでくださる方もいます。

今回はダメだった、次は良くしよう。という反省を無意識にできる人もいるし、出来ない人もいます。一つの完成した形を残すっていう事は、客観的事実ですから自分がしてきたことの振り返りにもなります。作品を作り上げるというのは自分で出来る現時点での能力の証明です。だけど時間がタでば、客観的に自分を振り返ることの出来るツールに変化するのです。
 社会のキャリアの証明にはなりませんが、自分のやってきたことの証明にはなります。案外そういう行為も捨てたもんじゃなりません。本の方時中くても、ネット上の文章でも何でもいいです、形にはしときましょう。後で絶対役に立ちます。
 私の場合、本の形(同人誌)にして残したら、下品な話にはなるのですがハッタリをかませられたという、思わぬ副次的効果を手に入れたりしました。(乱用はやめましょう痛い目見ます)。
 チヤホヤされようと頑張れば頑張るほど、不満が出てくるのが創作の常。前より上手にはなっているんだけど、出来なかったことも多くて、褒められると嬉しいけど素直に喜べなくなって来るのも事実。何でこんなに面倒くさいことをやっているんだろうと、思ったりもしますけど
『虎は死して皮を留め、人は死して名を残す』そんな言葉があるように本当の意味で作品が評価されるのは死んでからなのかもしれません。
 ああ、原稿が進まない……