熱さや熱意がそのまま伝わるとは限らない

どうも、同人原稿が予定より全然進んでないのに、原稿に見向きもせずブロマガの記事を書く大馬鹿者のしーざーです。書かないと話にならないのは頭では解ってても、筆は進まないのがデフォです。

 今日のテーマは、作品や作り手の『熱さ』について、自分の視点で語ろうと思います。

 世の中にはやる気があって、活力もあり、すごい作品を創るバケモノのような人は、どんな業界にも一定数います。尊敬したり、刺激や影響、モチベーションを与えてもらったりってのはあるんですが……ちょっと苦手な部分もあります。

 情熱・熱意がありすぎるのもまた問題ってやつです。熱い人、情熱的な人って融通効かなくなるんだよね。

 異性関係で置き換えれば、どういう事かなんとなくわかると思います。
 ある人がとある異性に運命の出会いをしてしまった。頭の中はその人でいっぱい。毎日会いたくてたまらない。好きで好きでもうどうしようもない。
 だから後を付ける。
 生活パターンを覚える。
 さらには、家に侵入して、その人の物を盗む。それだけでは足りなくなって、電話をかけて声や息遣いを聞こうとする……。
 もはやストーカーですね。自分の気持ちしかなくて相手がどう思うか考えていない。でも自分は欲望のために自分の行動を正当化しはじめ収拾がつかなくなる。他人を振り回した挙句、しまいには社会から孤立し最後には警察のお世話がオチ。

 パワフルで周りに目を向けずに、根性とパワーの力技でこなしちゃう人は特に。それは『無理を通せば道理が引っ込む』ってことでもあるわけで、ヘタをすると何かに打ち込むってのはかなりリスキーな行為なんじゃないでしょうか?

 でも上手くいくとファンが信者化してその熱量だけに信者もすごい熱狂してくれます。
 ムーブメントを作れます。
 信者を引っ張っていけるってのは、教祖様が人を魅了するだけのカリスマと言うか魅力がないと成立しないんです。信者自体が理屈が通じない(?)人たちなので、教祖も理屈が通じないパワフルだけど極端な人が多いんですよ。マトモな感覚ならバカか異常に見えることを本気でやっているわけですから、マトモな常識感覚を持っていたら逆に周囲の熱量のせいで精神的に病んで壊れます(笑)
 
 それとは逆に、時々、熱量は半端ないが一人よがりすぎて理解してもらえず。なんで理解してくれないんだ、読者(or 視聴者、受け手)はバカだとか人前で堂々とdisっちゃう天才肌の人もいますが(ストレートゆえに上手くいくとそれで信者が熱狂して、って場合もありますが基本アウトです。芸術はまた別ですが……)

 実をいうとそれは作品自体はいいのに、熱の伝え方、つまりアプローチが悪い場合もあります。
 そこに気付かないのも周りを見ずに突っ走る故。熱量の多いものは、実際、普通に接したら火傷をするだけもしくは、料理で言えば外側は焦げまくっているのに中が生焼けの肉状態になっちゃうんです

いくら寒いからって、火に直接触るバカはいないでしょう。それと同じで熱けりゃいい、熱意があれば通じるってのは幻想なんじゃないでしょうか?

 実際、みんながみんな熱さに慣れてるわけじゃなくて、個体差があるんだから、自分一人もしくは親しい間柄の人だけじゃなく、赤の他人がどう思うかとか考えるべきなんです。

 ただ物事は単純ではないし、かといって滅茶苦茶複雑なわけでもない。そこが更にややこしい。

 うまくいっている場合は、周囲の人を温める役割の人がいたりするんです、それは煽り屋の場合もあるし、学級委員長的なその人の長所を理解して噛み砕いて魅力を伝えたり持ち上げる、空気の読める人が、見えないところにいたりします。基本縁の下の力持ちなので、関係者しかその存在は解りません。

 熱意・熱さはあっても構わないけど、パワーを抑えるには同程度のパワーをぶつけなければいけないわけだから、熱い人ほど暴走するわけで、熱の伝え方は考えないと痛い目見るよ。それ以上に例外や、他の可能性も目を向けないと何かあった時対応できませんからね。

 まあ、肩ひじ張らず、時には程よくキツく、時にはユルくのメリハリとバランス感覚も必要ってことなのかもね。

 熱くなるなら、同じくらいの冷静さを持っておけってことですね。

 毎度の毒にも薬にもならない話でした。

 ついでにいえば0か100かでしか考えられない完璧主義もメンドクサインダケドネ……。自分が理想に近づこうとするのはいいけど、独りよがりの理想や価値観を押し付けても、周りは賛同してくれないんですよねぇ。

 世の中には色々な人がいますよ。ホントに……