中二病の先にあるモノ

どうも、コネなし金なし何も無し、自分を卑下する語彙だけはあり。な、しーざーです。


今回の話は、自分の創作スタンス的な何か? を話してみようと思う。ちょっと普段の冷静な口調よりかは幾分勢いで書いてるから、露骨で下品な口調ではあるが、まあ許してくれ。

 
自分は中二病の行きついた先を自分の小説でいつか書きたいと思っている部分がある。別に、露骨にそういったテイストをダイレクトに描くわけじゃないんだけど……
 これは一種の理想であり目標であるんだ。
 すごいニッチだし、誰が読むんだってことになるかもしれないけど書いてみたい。


俺がいつも思っているのは、みんな、なぜ十代にこだわる必要がある? 商売で一定のシェアがあるからか? 学校生活だけが人生の全てではないはずだ。青春時代は人生の中で断絶されたものでもない、逆に今と連続して繋がっているはずなのに。

 キスをするかしないかレベルのボーイミーツガール。

 おいおい、ファックはどうした? F-U-C-Kは?

 別にオカズを求めてるわけじゃない。オカズはエロゲやAVで十分事足りてる。

 下品な言葉を使ったが、つまり俺が言いたいのは、結ばれてハッピーエンドだけが恋愛じゃないだろ? 結ばれてからも、金の問題、人間関係の変化、社会的立場の変化云々……でいろいろ変わっちまうのにさ。普通の話だってスパイス利かせりゃ味は引き立つ。
 パーティーで異性をとっかえひっかえもしなけりゃ、悪酔いして路地裏でゲロも吐かない。ジュースで酔っぱらったり、無駄に高い声で頭の悪い発言をする萌えキャラだけの世界に俺は食傷気味なだけなんだ。

自分は中二病が行き着いた先の一つのアンサーだと思っている物がある。
 アメコミの中のスーパーヒーローだ。
 奴等は、ちゃんと社会の一員として働いている。
 あるモノはジャーナリスト、
 あるモノは社長、
 あるモノは弁護士、
 あるモノは消防隊員……社会にコミットしながらも、ヒーローとして実際に生活している姿を見せている。バットマンなんか『ダークナイト・リターンズ』で五十代ヨボヨボのジジイになっても偏執的な強迫観念でヒーローをやっている。
 中には栄光は過去のものになり、酒におぼれ家族に見限られた奴もいる。スーパーヒーローのそういったストーリーをよんだり、映画で見たりしていると、ふと頭に思い浮かべるんだ。

俺らは自分たちで可能性を狭めてないか?

ってね。別に奇をてらえってわけじゃない。もっと違う切り口を見せてくれ。俺たちは誰かをそのままコピーするために、何かやっているわけじゃないだろ? 自分にしかできない何かを求めてるんじゃないか?


話変わって、自分が影響を受けた2000年代前半のオタク界隈は今思えばテキストが強い時代だった。
 エロゲはテキスト重視の葉鍵系が花盛り。ラノベが滅茶苦茶面白くなって、しまいには評論本やガイドブックが何冊か出版される位盛り上がった。同人では月姫。ネットじゃテキストサイト全盛、おまけに2chも出来たばかり。たのしい時代だった。

当時の俺は、カードキャプターさくらの洗礼を浴びた、黒歴史丸出しの“厨房”(あえて懐かしいこの表現を使おう)つまり中学生だった自分は、言わずもがな底なし沼のオタクカルチャーの洗礼を受けることになった。
 映画じゃマトリックスが流行って、深夜アニメではあずまんが大王ウニメと呼ばれたシスター・プリンセスなんてトンデモナイものもあったが、エネルギーは凄かった。


その頃の自分は『オタクメディアは不当にバカにされている。これは素晴らしいものなのだ!!』 と新興宗教教団の信者よろしく恥ずかしげもなく叫んでいた。(幸運なことに中学校は男子の半分がオタクだったおかげで悲惨な事にはならなかった。時代の先を行っていた環境だったのだろう)


 周囲との比較ができるようになった今では笑い話だし、更にオタクカルチャーの地位が相対的に上がってしまい、下手をすれば納得されてしまう時代だ。
 今と比較すると洗練はされてないが、当時の俺という何も知らないバカが熱狂できるだけの熱いエネルギーだけはある時代だった。


なんか最近はライトになりすぎてる。別に悪いわけじゃないが中二病って、わざと大人ぶってみたり、『俺は人とは違う』っていうスタンスを表明するもんじゃないのか? あんな量産品の邪気眼なんかどっかに捨てちまえ!


もうあのころには戻れない、だけど、新しく自分たちの表現を作り出すことが出来る。『俺は人とは違う』こんな楽しいことはないんだから。もっと楽しもうぜ。