勉強は好きかい?

大人になってから自分は勉強が好きらしいと分かってきた。と言うか、世の中のオタクと呼ばれる系統の人種の大半は勉強が好きなんだと思う。

もちろんテストで百点を取るための学習の事ではない。

何かに執着して、それを自分の頭の中で思考してみたり悩んでみたりしながら、自分の意見を主張できるようにするっていうのが自分が考える勉強と言うものだと思う。

自分は学校教育はそんなに好きではない。ぶっちゃけ相性が悪かった。暗記ど問題集のパターン学習が向いていないのだ。

もともと高校時代なんかは校内模試や実力テストは全校で上位に食い込むが、定期テストはクラスでもビリから数えた方が近いと言うタイプの生徒だった。

熟考を重ねるタイプだから、定着して覚えるまでぎこちないしトロくてスピーディな対応が出来ないのだ。その代り覚えてしまえば、平均以上のパフォーマンスを出していた気がする。

その代り大学での勉強は決まった答えよりも可能性や、自分なりの考え方を突き詰められたので、かなり面白かった。

未だに数学の公式や、語学の文法だけを暗記するのは苦手である。記憶に定着するまでのプロセス的な事柄をぶっ飛ばしているので、ネットでいう所のリンクが張られていない状態におちいってしまう。

人間個人差、個体差があるんだから勉強の仕方なんて、自分の得意な方法でいいんだと思うんだけどね……。『みんな同じ』とか『平等』なんて言葉は偽善的な嘘だと思う。正直、日本の集団主義的な考えは、価値観の押しつけみたいで嫌いである。

多分、この考え方は自分が学校の成績は悪くとも、それなりに考えて結論を出すと言うタイプのちょっと変わり者扱いされる人間と言う立場だったと言う事もあるだろう。器用でソツなくこなせるタイプや集団行動に馴染めるだったら、考えもしないだろう。

だからこそ自分みたいなタイプの、人の意見に流されない。確固たる自分の様なものを持っている人間には、すごく孤独に感じてしまうのだ。最近はネットのおかげで、その孤独感はかなり改善されているけどね。

勉強というのは自分が様々なしがらみから自由になる手段なわけだし、大人になっても自分で考えないで固定観念に縛られている人を見るとなんとも言えない気持ちになる。

もう、みんな十分繁栄した世界は手に入れているのだから、これからの世の中、もっと個人を尊重してもいいのになと思うのである。