本の話1 村上春樹

普段日本人作家は読まないのだが、そんな中でも村上春樹は読んでしまう。それ以外の日本人作家と言えばラノベ作家かラノベ出身作家が多い。今回は村上春樹について、語ろうと思う。ここでの一人称は『僕』にさせてもらいたい。深い意味はないのだが、村上春樹を語るときには『僕』がしっくりくる。さすがに文体までは似せることはないけれど。

個人的に好きなのは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『羊をめぐる冒険
だ。時期的には初期から中期にかけてと言ったところだろうか。日本で一番売れた『ノルウェイの森』は好きになれなかった。リアリズム傾向のある作品だが、僕はやっぱり、リアリズムだけを描いたモノより、村上春樹は超現実(シュールレアリスム)の入った、リアルの中にファンタジー的なものが混じってくるタイプが好きだ。初期三部作とか、『ねじまき鳥クロニクル』、『1Q84』とかの系統だ。

僕は普段は、あまり村上春樹が好きだとは公言しない。村上春樹が好きというと、なぜか人格を疑われるような目を向けられることがあるからだ。特に日本文学を勉強してきた人なんかと話す時は、ちょっと構える。極端な人に当たると、あれはエンターテイメントで、日本文学や、文学ではないと強い口調で注意されるのだ。「日本文学は文章の美しさ云々……あれは、海外小説の方法論で……本来の伝統的日本文学の手法じゃない」とかなんとか。

それだけでなく、日本人作家ばっかり読んでいる人の中には、それを話した途端、急に表情が変わり怪訝な目して「私、文体が嫌い。あれは何か英語を和訳している時みたいな感じで気持ち悪い」と言われることもある。その後は、なんとなく空気がよどむ。だから、村上春樹の話をするときは細心の注意を払ってしまうのだ。

僕は七割方海外小説を読む、文学的なモノからエンターテイメントまでジャンルは問わない。だから、読んでもあまり違和感を感じない。どっちかというと、翻訳小説よりはちゃんとした日本語臭さがある文章だと思うのだが。やっぱり、彼は日本人であって日本語の小説を書く日本人作家だ。

英語版のペーパーバックとかも何冊か買っている『世界の終り――』はオーディオブックまで買ってしまった。小説を読み切る英語力は無いのだが、それでも英語に翻訳された物を読むと、本質の変質が少ないのがわかる。村上春樹を読んでいるってのがわかるのだ。

小説を読む際は、どうしても話に入り込むまでにノイズがいくらかあるものなのだが、村上春樹は何を読んでもびっくりするほどクリアに文章がしみこんでくる。言葉が響いてくるといってもいい。日本人作家の中では文章運用能力は圧倒的だろうとおもっている。

本当の意味での評価が定まるのは、他の文学作家と同じで彼が亡くなってからだろうけど。僕はかなり評価している。誰が何を言おうとも。