トラブった時に感じる日本の素晴らしさ。

昨年末、オークションで落札した大正時代の古書が運悪く郵便事故に合ってしまったのだが、つい先日見つかって返送されてきたとの連絡が入る。原因は宛名が滲んで判読不能になっていたらしい。として、それが送り主に戻ってくるのが日本らしい。戻ってくるとは思わず、諦めていたので儲けモンである。

トラブった時の対応も紳士的で、ああ、ここは日本で日本的な常識と思いやりが通じるんだと感動モンである。日本在住だけどさ。

海外通販を利用したことのある身で、さらに仕事も外国人相手な身としては、日本人って真面目で誠実だなぁと思ってしまう。外国人相手でやると、責任の所在がいいかげんで、無くなっちゃったものはしょうがないネHAHAHA! なんてノリをリアルでやる。

こっちも、そう言ったトラブルに慣れてしまって、「しょうがないよね」的な態度を取りつつ。でも、保障とか、厄介事どうする? 的な水面下での責任の押し付け合いが始まる。日本人的な相手に気をつかうルールは存在しないも同然。あくまでも自分の意見を主張し合い妥協点をどうにか見つけることになる。

何かしらトラブった時の対応は国によって様々である。ただ、日本と違うのは「罪悪感」やら「反省」やら「謝罪」といった態度はまずない、逆に屁理屈こねて「自分は悪くない」のを主張し合う世界だったりする。文化によっては謝ったら本当に負けらしい。謝罪なんて本当に最後の最後にあるか無いかの世界だ。他人なんて知ったこっちゃない、何よりも自分を正当化するという感じだ。

結局そんな場面で大事なのは、自分の意思を主張することなのだ。自分の気持ちを悟ってもらったり、人を信用したりする。なんて言うのは、きっと明日の飯の心配が無くて、雨風をしのげる家がちゃんとあって、文化的で健康的な生活を送れる成熟な国じゃないと成り立たないのだろう。

これは個人的な感覚だけど、外国人とコミュニケーションを取っていて、だんだん特定の国の人当りがよくなったりすると、あの国GDPが上がっているな。と感覚的に感じる、GDPの上昇と人当たりの良さはある程度比例する感じがする。最近だとベトナムあたりが結構そんな傾向がある。やっぱり衣食足りて礼節を知るって事なのだろうか?

そういう点から見ると、日本は異常なパフォーマンスを発している国だ。街は清潔で、飯も旨い。自販機は破壊されず、盗みも詐欺も殆んど無くて、お店はちょっとやり過ぎと思える過剰サービスをしてくれている。更に人々は気を使い、支え合って生きている。日本はそういった意味では最強である。

時々、そんな日本的なルールやしがらみにがんじがらめになって、過剰適応気味になって息苦しいこともあるけれど、日本に生まれただけである意味ラッキーな事だと思う。生かすも殺すも自分次第だけど。個人的にはもう少し個性を尊重してほしいな、というのが無いわけでは無いがそんな願いはゼータクなのだろう。

それよりもなによりも紛失した古書が見つかってよかった。