権利者がわからない著作物は誰のもの?

郵便事故に遭った古書が本日届いた。古いもので個人的に趣味としているタイプライター関連の書籍だタイトルは『誰にも分るタイプライターの構造と使ひ方』(各務忠方 太陽堂書店 1924 定価 一円八十銭)

個人的に、タイプライターの日本語資料を集めて、公開できるものはスキャンして公開したいなと思っている。タイプライター自体が、流通している物ではないし、現時点で集められる情報・資料は少ない。ましてモノがモノだけに年々、経年劣化や破棄等、様々な理由で消失していっているわけだし、誰かが保護する必要がある。だから出来る限り率先してやれることはやりたいのだ。







ということで、それをネタに今日は孤児著作物(権利の所在が不明な著作物)についての話をしようと思う。

孤児著作物というのはWikipediaによるとこういう事になる
著作者の死亡または法人・任意団体の解散から相当年数を経過しパブリックドメインに帰属しているかどうか、或いは著作権の保護期間内であるが遺族ないし権利譲渡を受けた団体の所在が不明な著作物のことである。
(中略)

権利の所在が不明な著作物の種類

大別して以下の3通りに分けられる。

  1. 著作者の死後、まだ保護期間の満了を迎えておらず遺族または権利の譲渡を受けた個人・団体の所在が不明な場合。
  2. 著作者の名義にペンネームなどの変名を用いており、本名がわからず生没年どころか生死すらも不明で個人情報を特定できない場合(東洲斎写楽など)。
  3. 法人・任意団体の倒産や解散により、権利が第三者に譲渡されているがその譲渡先が不明である場合。

当然ながら、保護期間が立法により人為的に延長された場合は権利の所在が不明な著作物は増加することになる。また、権利の所在は判明しているが「採算が合わない」などの理由で公開されずに死蔵されている著作物も増加することになるため、そうした状態に置かれている著作物も権利の所在が不明な著作物と併せて近年、問題視する動きが強まっている。


「古いものだし、別に、権利者がわからなくてもいいじゃん」って思う人もいるだろう、でもそれは間違いだ。資料として利用とするにも、作品をそのまま利用するにも無許可で使えば著作権侵害なのだ。仮に権利者が存在しなくても、その事実が認められない限りは、権利は権利として存在する。権利者が存在している場合は、利用方法によっては高額な賠償請求などトラブルの火種になる。

この本の作者について判るのは、各務忠方(かがみ たかまさ? 【読み方不明】 人名としては、各務の漢字は、かかみ ががむ かくむ かくつかさ、等の読み例アリ)氏が著作者らしいという事……ネット上で検索しても、これと言って、該当するような人物が見つからなかった。

出版年はちょうど九十年前。著者の生年月日不明。多分これ書いた当時に既に成人していたはずだから、ご存命の確率は低いであろう。一応著作権の保護期間は死後五十年だから、五十年前に逝去しておられたら、公開可能だし問題ないんだけど、超微妙なライン……。

タイプライターなんてネット上にもまともな資料少ないわけだし。保護できるものは保護し、必要としている人に公開できれば尚良しという事で、これからも地道にタイプライター資料を個人的に収集するつもりではいるのだ。

出来れば、共有財産として公開したいのだが、ただ古い資料は著作者の没年が判らないと、こいつをネット上に公開することが、ほぼ不可能ってのが今の一番の大きな壁。

一応、手続きを経て公開することはできるんだけど、その手続きは厄介で
  1. 名前からの調査
  2. 広告の実施
  3. 研究機関、権利管理団体への照会
などを使い、著作者を探し見つからなかったものに関して、裁定を求める場合は、文化庁に所定の書類を提出し、補償金を支払う。ということになっている。

でも実際問題、一般人がやろうとすると、コストと時間がかかり過ぎなわけさ。個人的にはもっと簡素化できないかなって思う。ちょっとハードルが高い。

まあ著作権はたしか親告罪だから、誰かが権利者に“直接”チクって訴えられない限りは晒したところで、問題ないとんだけどさ。仮に著作者が見つかって、そこから、著作物の被害に関して色々、精神的被害を被る云々の細かい事を争う事になったとしても、これの場合だと……

タイプライターという、ほぼ使われていない物に対する本である事。
書籍として絶版で入手する方法が他にない事。
現在の日常生活にかんがみて、情報的価値が非常に低い事。

……とか等々、様々な事を鑑みると、それほど訴えられる可能性はかなり低いとは推測されるんだけどさ。でもなんか嫌じゃん。法律違反するの。まあ、有名出版社なんか戦前のマンガとかの奥付の前に、権利者を探していますという一ページ挟んで、「著作権侵害する意図はないよ」って表明したりするんだけどさ。なるべく、クリアにしておきたいのが人間の情って奴ですよ。

今だって、生きていても、肖像権含め所在不明の著作者は沢山いて、それでアーカイブ化するときに一般公開できなくて困っているわけだから(TV、映画、漫画、フィクション、ノンフィクション等々)、死者を探せとなると、そりゃまた更に面倒臭い。仮に遺族がいたとしても、遺族が権利含め著作物の存在自体を知っているかさえも怪しくなる。


このニコ動だって、既に孤児作品は生まれているはず。動画作って公開したもののアカウント放置で、連絡先がつかめない。黒歴史として黙っている、志半ばで死んでしまい家族にも著作物の存在が知られていない、などの理由でネットに漂っているはずだ。

著作権は守られるべきだけど、ガチガチに守られるのもなんだかな……って気がするのだ。同著作物が扱われるかの基準はもうちょっとゆるくした方がいいんじゃないかとも思うわけだ。ここら辺は難しい所だけど、現実問題デジタル化の波によって、既存の著作権じゃカバーできないことが増えすぎていると感じる。

俺なんかは、自分で同人誌とかオリジナルの著作物とか作っているわけだけど、俺の場合、俺が死んだらもう知ったこっちゃないし関係ないんだから、著作権なんてあって無いようなものでいいと思う。生きていて著作権があっても制作後三十年くらいで、公共利用に関しては緩めたっていいと思っている。

だからこそ、こういったものをなるべく意見を表明して色々な案をだして、皆の為になる著作物の使い方を提示出来たらいいなと思う。なにか上手に利用できる方法やいいアイディアが無いものか……問題は根深い。