たまには原稿用紙に書いてみる。

長い時間画面を見続けるのが辛い。

動画とか、ネットサーフィンとか一定時間で画面が切り替わるモノはそうでもないが、文字を打ち続けるとなると話は変わってくる。あまり変化のない画面を見つめながら、どうやったら面白くなるだろうと考え抜く。ブロマガみたいに最高でも四〇〇〇字位でまとめるのと違い、最終的に数万時の文字になるのだから、途中で地味で単調な作業に嫌気がさし何もできなくなる。毎度のことである。

とはいっても、書かない事には終わりはないのでどうにか書こうとする。でもやっぱりダメなときはダメなのだ。さすがにそれが数か月づくと焦るし、危険信号なのて手を変え品を変えでモチベーションを上げる努力をする。これ以上かけないでいると、表紙の依頼とかする際に具体的な指示を出せず大変なことになるのだ。

何でもそうだが、好きなように描いて(or書いて)いいよと言われても、何をしていいのかわからないのが人間。ある程度のビジョンを伝えない事には、最終的に齟齬が出てトンデモナイことになる。

何かを依頼されることは自分はめったにないが、自分だって突然好きにしていいよと言われたって戸惑うばかりだ。(自分が好きな事や、わかっている事とかなら、逆にヒャッハーだったりすることもあるがw)他人が関わっていることとなるとある程度、成果物に対するビジョン共有が出来るか、出来ないかで結果は変わってくると感じている。

同人誌の表紙の場合。とりあえず自分の場合は、依頼の際、参考資料の提示(類例とか、ビジュアルイメージとか)して、途中の原稿見せて成果物の具体的なイメージを伝えられない事には、おかしなものが出ても仕方がないことになる。絵に関しては、絵師さんに全てをゆだねることになるわけだけど。やっぱり、ある程度までは形にしておかないとゆだねる、ゆだねない以前にどうしようもないのだ。

さすがに、これ以上手を付けないのは、ヤバいと思ったので、夕食後、原稿用紙に、万年筆を走らせることにした。ちょっとやっただけで、原稿用紙三枚半をひねり出せたので、まあ少しだけ安心している。原稿に対する集中力も少しだけ戻ってきた感じがする。

最終的にPCに清書するのだが、手書きの問題点は、ずぼらな自分の場合、清書する前に原稿を消失してしまう事が多いので、その点が切実な問題だったりする。

最初縦書きで書いてたいら、書き終えた文字に手を置いてしまって、原稿と手を汚してしまったので、途中から横書きにシフトする。縦書きは手の動き上、書き終えた文字の上に手を置くことになってしまうのは盲点だった。



しかしまだ、ページとしては五〇ページほどしかできていない。その割にストーリーは全然進んでいない。終わるまでにあと何ページかかるのかわからないが、とりあえず、暖かくなるころにはある程度、終わりまでの目途をを付けたい。