他人は自分の人生に責任なんか取ってくれない

個人的に既成概念・固定観念というものが嫌い。『____は、こうあるべきだとか、こうするべきだ』っていう感じの事。そういう事を耳にすると、どことなく反骨精神が沸々と湧き上がってくることがある。

世の中の顔色をうかがうって、世間様に合わせて生きても楽しくない。そりゃ、時には自分だってうかがうよ、自分が出るべきところと、引くべきところはあるんだから。それが円滑なコミュニケーションってものだし。

自分の意見だけを一方的に主張したって、大半の人はうるさいとしか感じないだろう。単純に否定をしたって反感を買うだけだ。時には人の話を傾けたり、一緒に時間を共有したり、笑ったり、泣いたりってのも必要。逆に嫌なことから逃げることだって必要だし、立ち向かう事もね大切。

世の中は、思っているほど、他人に気にしてない。みんな自分で精一杯なんだから。自分が不快にならないように、居場所や縄張り作ったり、何かを表現したり、気に喰わないものを排除したり……人それぞれに自分にメリットのある方向に色々なものを誘導させてる。

そんな中で生きているのは時々、息苦しくなるけど、どこかしらに自分の理解者はいる。でも、全部わかってくれるわけじゃない。だって自分じゃないんだから。それでも中には、自分の事を気に入って一緒になって寄り添って人生を歩んでくれる人だってごく稀にいたりするんだから。

上手な生き方ってのは『相手を尊重しつつも、自分も大切にする』みんな不幸になりたいわけでは無いと思うし、平和に生きられるなら、平和に生きる方がいいだろう。誰だって怒った顔を見続けるよりも笑顔を見続けた方が気分がいい。

自分に自信がない時は、自分が見つめている鏡が歪んでいるんじゃないか? と疑ってみるのもいいんじゃないだろうか? 自分の目の前にある事実を疑うってのは、心理的に難しいことかもしれないけど、あえて疑ってみた方がいい場合もある。

元々が歪んでいたら、どんなにまっすぐに進もうとしても曲がって当然なんだから。視点を変えてみたら上手くいったなんて、人生では良くあることなんじゃないの?

人間は平面じゃない。立体なんだ。光がさすところもあれば影が差すこともある。上下左右、それぞれに見え方が違う。自分にネガティブなレッテルを張って蔑んだり、逆に過剰に自分を愛するんじゃなくて、まずは色々な自分がいることを自分自身で理解するってこと。

そうすれば、他人からの、悪意ある攻撃や心ないことばを受けても、衝撃は和らいでくる。「あ、あの人は私の、この面を見て攻撃してくるんだ」とか「この人にはあの言い方は通じなかったな」とか、沢山の視点で考える事が出来るようになるはずだから。

自分の人生だ、周りに流されたり、感情を押し殺して生きる位なら。自分の好きなように、満足して納得するような人生を生きた方がいい。他人は自分の人生に、文句は言っても、責任は取ってはくれない。どうせ最後は『死』という一緒の結末なんだし、生きているときくらいは自分らしく生きたところで損はしない。言い切るのもどうかと思うけど、まあ自分はそう思う。