僕はたいした理由もなく君の手を握る 第二章

「バカだね」俺の目の前にいたクソババアは、俺の経歴書を見て、そうほざいた。おまけに俺の目の前で煙草(たばこ)を吸い始め、その煙を俺に吹きかけた「アンタみたいに学位までおさめてまで、こんなところにくるんだから」

 アンタだって似たようなもんだろ。と俺は心の中で思ったが、口には出さなかった。

 面接の前に、面接官の情報は仕入れてきていた。聞かれれば、表に出ている経歴なら空で言える。

 要約すれば一昔前は……

 良い所出(で)のお嬢様。

 かなりのインテリ。

イオニア

 彼女はこの地位を手に入れるために奮闘(ふんとう)し、地位を得た。今では高そうなソファーにふんぞり返っている。

 軽蔑されることはあっても尊敬されることはない。

 プライドとプロフェッショナルな意識は高いのだろうが、見ていて、プロはこうあるべきだという意識を周囲に押し付けている傾向が見て取れた。

 俺の短い人生の中で理解したのは、

 本当に苦労して成り上がった奴は性格が恐ろしく歪(ゆが)むという事だった。

 というよりも、しなくてもいい余計な苦労をした奴が歪むのかもしれない。『若いうちの苦労は買ってでもしろ』なんて諺(ことわざ)もあるが、そんなのは噓だ。

余計な苦労をしてしまった見本が目の前にある。苦労した割に経歴はともかく実績はそれほどでもない。

 目の前にいるのは、プライドだけ高く、口の悪くて性格も残念な、醜いババアだ。

 面接とは名ばかりの面通し。

 まともな仕事は狭き門。

 結局は、醜悪(しゅうあく)な魔女にカエルの姿にされることを選んでしまった。つまり、魔法少女の使い魔。それも、使い捨ての派遣業務。


―――


 面通しが終わって一息ついていると、

「やってられないよな」と言って、煙草を口に咥えながら、そいつは俺に笑いかけてきた。

「ああ」

 何となく、気が合うような気がした。

「ミハイルだ」

「カルナ」俺は答えた

「お前も吸うか?」

 そうやって、ソフトパックの口から、煙草を一本取り出した。

 パッケージには、羽飾りの付いた民族衣装を身に着けパイプを吸っている男の絵が描かれ、メディスン・マンという文字が躍っていた。それが、この煙草の銘柄(めい がら)らしかった。見たところ只(ただ)の煙草だが、名前だけは体によさそうだった。

 まあ、体にいい煙草などありはしないが……。

「結構」

「こんなところじゃ、たばこの一本や二本吸ってないとやってられないぜ」

「確かにな……」

「起きて目を見開いたところで、全てを見ることはできない。だから我らは眠り、夢を見る」

「何だ突然」

「パッケージ裏に書いてあった」

ミ ハイルはそう言うと、ソフトパックに入った煙草のパッケージを俺に見せる。

「気が変わった、一本もらっていいか」

「ああ、どうぞ」ミハイルはパックを軽く振り煙草を一本、パックの口から出し俺の方に向けた。

 煙草を受け取ると「まさか、吸ったら、元の場所に帰れない奴じゃないよな?」と俺は言った。

 ミハイルにやりと笑い。「それは自分で確かめろ。吸うも吸わないも、決めるのは自分自身。吸ってからは、俺でもさすがに責任は負えない。怪しむなら吸わなければいい。俺は強制はしない」

 俺はミハイルの言い方が気に入り笑いながら、煙草を口に咥えた。

 ミハイルに火をつけてもらうと、ゆっくり煙を吸い込んだ。慣れていないので肺の中までは吸い込まず、口の中でふかすだけにした。それでも煙は自分の方から体の方に勝手に入っていった。

 重く、粘っこい煙が口の中から体の中に、泥のように沈んでいくような気がした。

 煙が口腔内(こうくうない)に満たされる頃には、

 意識は朦朧(もうろう)とし、

 思考は空回りし始める。

 頭の中に思考の断片が現れては消える。まるでソーダ水の泡のように。

 身体がほぐれるような開放感の後、脱力感のようなものを覚えた。

 俺は煙を吐き出し、指に煙草を挟む。顔をしかめながら火の付いたたばこを確認する。

「強いな。これ本当に煙草か?」と聞いた。

 俺ははまだ、どこかぼんやりと、視点が定まらないような、変な気分が残ったままだったが我を失うほどではなかった。

「吸うのをやめてしばらくすれば、元に戻るさ」

 そのあと話したのはあいさつ程度の事務的な会話だった。

 仲良くなるのに余計な言葉はいらない。

 その後も俺とミハイルとは長く付き合うことになる。


―――


 数日後

「あいつら、世の中を知らなすぎる癖に、想像で世の中は辛(つら)いことばかりだとか言いやがる、世の中ここよりも何倍も楽で、相対的に考えればマシな仕事は山ほどあるってのに……」

「話通じないし、おまけに頭も相対的に悪い」

「期待するのがバカなんだろうな」

 ミハイルはハハっと笑い「そうだな」と言った「俺は、どうもあいつらに好かれてないみたいだからな」

 小動物やヌイグルミの格好から解放される仕事終わりは愚痴の言い合いだった。正式な魔法少女の主従契約ではなく時間契約。

 管理も魔法少女側からではなく、使い魔崩れが管理している。

 面倒くさい仕事を押し付けたり、トラブルの尻拭いの毎日。年功序列に加え常識なんてものはあってないようなものだった。

 それでも仕事さえ終われば、元の身体に戻れる。それだけは救いだろう。

 確かに魔法少女に危害を加えないために使い魔はヌイグルミや小動物の姿になるのは理にかなっていると思えるが、その代わり使い魔側の負担が多い。普通使い魔契約は両者の信頼と同意があって成立するものだからだ。

 毎日の理不尽な扱いに、二人とも参っていた。我慢すればするほど、上の奴等はつけ上がり、反抗すれば仕返しされる。

 最後の方は精神的におかしくなりかけていた気がする。

 結局、この仕事は長くは続かなかった。俺はすぐに辞める決意を固めその旨を伝えた。

 こじれた。

 訳の判らない儀式めいた洗礼を受ける。

 罵倒、暴力、当てつけ。詳細を話そうとすれば一日じゃ足りないくらいだ。

 全てを清算し終えた時には肉体的、精神的にも参ってしまっていた。逃げようとすれば逃げれたのだろうが、まともな判断力は残っていなかった。

 結局体と心はボロボロになって、何もする気力もなくなってしまい、しばらくの間、貧乏生活をしながら細々と生活することになった。

 復讐心やら反骨精神なんて、これっぽっちもわかなかった。とりあえず、逃げたいその気持ちがいっぱいで余計なことは考えたくもなかった。理不尽がまかり通るのは許せなかったが、自分でどうこう出来る問題でもない。

 おかげでしばらく鬱を感じながら生きることになってしまった。

 染みついたネガティブ思考はそう簡単に取れるわけではない。

 見えない何かに怯える生活。

 またその場しのぎの生活に身を投じ、どうにか生きていた。

 金はなかったが時間だけは沢山あった。


―――

 何もない場所を俺は歩いていた。街から遠く離れた見知らぬ土地。行く場所も定めず思いつくままに自然の中を進み続ける。どうなるわけでもないとは分かっていたが、こういうことは思いついた時に、思い切ってやらないと足を運ぶことも無い。

 原始魔術が伝わるコミュニティがあるという噂を人伝えに昔聞いただけだったのだが。思い立って、ここまで来てしまった。昔のうろ覚えの噂を頼りにここまで来たのだが、そんなものはとっくの昔に無くなってしまったようだ。

 見知らぬ場所で彷徨(さまよ)い果てるのもまた運命だ。

 静寂(せいじゃく)に耳を傾け、時に歩き、時に休む。

 乾いた風と砂ぼこりの舞う赤い大地。日に照らされながら歩いていると小さな小屋を見つけた。木で出来た骨組みに枯草(かれ くさ)をかぶせただけの簡素な造り。

 ずっと、放置されているわけではなく、定期的に手入れがされているようだった。入口まで行って、誰かいるか尋ねた。

 中には老人が一人住んでいた。

 挨拶(あいさつ)のあと「日差しが強いので、しばらくここで休ませてください」とお願いをした。

「かまわない。ゆっくりしていきなさい。この先は集落もしばらくは無いはずだ」

 そう言いながら老人は長い変わった形のパイプを咥(くわ)えぷかぷかと煙を燻(くゆ)らせていた。

「吸うか?」

「結構です」

「旅人か?」

「はい」

「これでも飲みなさい。薬草を煎(せん)じた茶だ」老人はそういうと陶器(とう き)で出来た取っ手のないシンプルなカップの中に茶色い透明な液体をそそぎ、俺の前に置いた。

 それをありがたく受け取り、茶を啜(すす)った。香ばしい香りが鼻の奥を刺激し、するりと、消えてしまったかのようにのどを通り抜けて行った。

「なぜ、こんな殺風景なところに?」

「魔術の源流をたどりに――いや、どっちかというと何かに引き寄せられた気がする。何というか、自分でもわからない。気づいたら足を運んでいた。ここに来たら何かがわかるような気がして」

「ほう。それで、何かを感じ取れたか?」

「さあ?」

 俺の答えに老人は笑っていた。

 老人の様子から、おれは悪くない回答をしたらしいと悟った。

「自然は力を有している。私たちが魔力と呼んでいる物の大元も自然の力だお前はその偉大なる力に導かれたんだよ」老人は笑った。「少し話をしよう。くつろいでくれてかまわない」

 俺は頷いた。しばらくして老人は話し始めた。

「始まりの時、万物には何の違いもなかった。私たちが魔法や魔術と呼んでいる力は、万物に何の違いもない時の名残(なごり)だ。だから願えば、力の大小あれど見えない力が集まり想いを具現化させることが出来る。その根源を我らは魂と呼んだり精霊と呼んだりした。すべては円環(えんかん)の中で循環(じゅんかん)し物事の良しも悪しも混ざり合ってしまう。生まれては朽(く)ち、生まれては朽ちの繰り返し。それが力だ」

 そういうと老人はパイプを咥え、煙を吐いた。

「旅人よ、運命の声に耳を傾けなさい。運命の声に耳を傾けることが出来るものは、正しい選択ができる。だが、お前が病み、穢(けが)れた時は運命の声に耳を傾けることが出来ない、傾けられたとしても聞き間違えてしまう。ここにお前がいるという事は、運命の声に耳を傾けた結果だ。私は今、お前を客人(まれびと)として受け入れよう。ついてきなさい」

 通されたのは、土で出来たドーム状の小さな小屋だった。中は光がほとんど入らず暗かった。床一面に薬草が敷き詰められ、馨(かぐわ)しい香りと共にとてつもない熱気が体にまとわりつく。中央に火がくべられ、木と共に薬草が燃やされていた。その周囲を囲むように石が置かれている。

 部屋の中はいわゆる蒸し風呂になっていた。

「汗ですべてを洗い流せ、そして熱から発せられる煙を身体中に擦り込め」

 そういうと老人は薄暗い中裸になり火がくべられたそばで胡坐(あぐら)をかいた。

 俺もそれを真似するように服を脱ぎ胡坐をかく。

 老人は呪文のようなものを詠唱(えいしょう)しながら水を焼けた石にかけた。石にかかった水は蒸発し、水蒸気となる床一面に敷(し)かれた薬草の香りが部屋中に立ち上ってくる。

 俺は目を閉じ、滝のように汗を流しながらじっと老人の詠唱に耳を傾けた。

 休憩(きゅうけい)が何度かあり、それが終わるとまた蒸し風呂の中に戻される。何度も繰り返していると暑さで意識が朦朧(もうろう)とする。

 さすがに意識を失いそうだったので、老人に限界の意を伝えた。

「それでいい、もう少しの我慢だ。しばらくすれば自然と夢の方がお前に語りかけてくる」

 ぼんやりとしてきた。目の焦点が合わない。何を考えているのかもよくわからない。頭の中がこんがらがって何かが駆(か)け巡(めぐ)ってくる。息が荒くなり、何も感じなくなった。時間の感覚がなくなり、すべての感情が消えうせた。


―――

 目が覚めた後、目覚める前に見た夢について話した。

 夢と言っても断片的で、色だったり、言葉で形容しづらいことも混じっている。俺は、試行錯誤しながら、どうにか感じたことを言葉にした。

 老人はそれを聞くとこういった。

「夢は未来を教えてくれる。夢のお告げは断片となって現れる」

「それで?」

「お前の見た夢を繫ぎあわせると。お前の身の回りにある、すべての物は、一度お前から切り離されると出ている。いいことも、悪いこともすべて。だが、お前はそこで終わることはないだろう。聖なる火が消えることが無い様に。苦しみに耐えよ。すべてが切り離されたが故に高貴なものになれるのだ。だがお前はその力さえあえて皆に分け与え人を導くだろう」老人は間をおいて、「私が言えるのはここまでだ、お前の夢を私は見れん。後は自分で夢で見たことを理解するのだ」と老人は言った。

 俺は「わかりました」と答えた。

 その返答に老人は「憐(あわ)れみたまえ、すべての物事は運命の糸で繫がっているのだ」とつぶやいた。


―――

 その後、老人のもとを去り、俺は自分の家に戻った。抽象的な老人の解釈と日に日に薄れていく夢の内容を思い出しながら、自分が見た夢の意味を考えながら過ごした。

 でも、結局わからなかったので考えるのをやめた。

 こういうのは考えても無駄な類(たぐい)の物の気がする。

 しばらく留守にしている間にミハイルから手紙が来ていた。

 久しぶりに今度二人で会わないか? という内容だった。

 俺は急いで連絡を入れた。


―――

 指定された場所は小さな街のとあるホテルのロビー。俺じゃ考え付かないような待ち合わせ場所だった。

 深く椅子に腰掛ける。

 備え付けの新聞を手に取り、時間を潰す。

 しばらくすると新聞の下の方に目を向けていると、人の足が見えた。

 顔を上げた。

 沈黙。

「……久しぶりだな」ミハイルは言った。表情は幾分やわらかい。

「ああ」新聞を折りたたみにやりと笑って俺は答えた。「どういう風の吹き回しだ?」

 挨拶はそれだけだった。

 そして、俺とミハイルは再会した。