しずかなる携帯電話の死

数日前、携帯電話が完全にダメになった。

今まで使っていたのは2008年に買ったNokia NM705i (Nokia 6120 classic)といわれる海外メーカ―の機種。

赤外線もなければ、おサイフ携帯もない。本当に通話とメールだけみたいな端末だった。大学三年の時に買って、四年の時D705iμに変えてたのだが、二年もしないうちにそれが壊れてしまったのでsimだけ差し替えて、今までずっと使っていたのだのだがついにオシャカになった。

オシャカになった経緯は同人誌の入稿前日イラストレーターと修羅場的な感じで、数時間程電話してたら電池切れになって、充電器に刺したのだが、充電器を指しても充電できませんの警告が出て、そのまま充電されることも無く電池切れ。あっけなかった。

機能はシンプルで頑丈だったので長く使っていたのだが、さすがに五年位使っていると限界が来るようだ。おかげて、電話帳はサルベージ出来ず、全員オシャカ。仕事関係や同人関係の友人はどうにか連絡取れるが、PCメール、Gmailを知っている人はともかく(それでもメインで使ってないと連絡は取れないだろう)、学生時代以前の友人はほぼ駄目になった。

といっても、マメに連絡を取って、関係を保っているわけでもないので、あんまり不便を感じないと言えば感じないので、こういう運命だったんだと納得してしまっている。

昔の人間関係って、こういう所が微妙なところで、保とうとしても保てないし、逆に保ちたいとも思っていなくても保ててしまう事もある。20年前じゃ誰も携帯なんて持ってなかったんだし、別に無くたって命の危険があるわけじゃないんだよなぁ。

そう考えてみると、連絡先って思っているほど日常生活には重要じゃないのかもしれません。(まあ、本当に必要なときは重要だけど)。

それでも一応、現代社会において、携帯電話を持っておかないと面倒なことも多々あるので、仕方なくiPhoneに機種偏してきました。既に自分の感覚的には5、6年前の携帯電話で感覚が止まっているので、浦島太郎状態。スマホってすごいね。超近未来ガジェットじゃん、なにこのSFの世界って言うのがマジな感想。

つうか使いこなせない。でも、カメラの画素数とか超綺麗だね。kindleアプリで本読めるし、モニターも滅茶苦茶進歩しているし。キーボード派の俺には使いづらいけど。世の中の人が、twitterとかSNSやる感覚わかる気がする。スマホこういう事するのには便利だわ。世界は日々進歩してるんだねぇ。

まあ、これだけ進歩していると、俺たちはネットワークの操り人形なんじゃないかな。人間関係から、生活まで、全部誰かが糸を引いているみたいな感じ。まあ、実際は複雑なだけで誰かが操っているわけじゃないんだけど、便利って不思議とそういう感覚を覚えてしまいます。

今の俺はモノホンの浦島太郎なので今の電話帳には、連絡先が誰も入っていない。いい感じで人間関係リセットです。わぁい。

もし、俺のリアルな知り合いで、携帯のメアドか、番号知っている人で奇特にもまだ俺と人間関係を保ってくれる・保ちたい人なっては連絡くれるとありがたいです。