僕はたいした理由もなく君の手を握る 第十五章

私たちの秘密の生活が始まった。

 市街地の大半の建物が蛻(もぬけ)の殻だった。生活用品が丸々一色残っている家もあって、当座の生活はどうにか凌げそうだった。

 遠くの方から、戦いの音が聞こえてくるが、私たちを追いかけてくるようなのはいないようだった。私たちの扱いは敵前逃亡なのか戦闘による行方不明なのかはわからない。ただ、戦場から離れていることで、精神的な安らぎを覚えた。

 レーニャのほうは、どこか憂鬱を携えたような雰囲気を残している。色々思う事があるのかもしれない。だが戦場にいた頃よりかは、気持ちは楽になっているとは思う。

 雪は降っていないが、外はまだ冬が続いている。暖かさが戻るまで、かなり時間はかかるだろう。


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 本当は少し暗くなってから出かけたかったが、開いている店は遠くにあるし、明るいうちしかやってない。いくら、生活用品が置いてあるとはいえ、人の家のものを拝借するにしても限界はある。

 手持ちの現金もまだ、残っているが、逃亡が長期間になったらどうなるかわからない。組織から離れて収入が無くなってしまったのだから、やり繰りの事も考えなければならない。


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「あら、お帰り」

 レーニャはキッチンで、立ちながらワインを飲んでいた。

「どこからこんなものを……」

「戸棚の中」

「よくもまあ、見つけたわね」

 私は、急に持っていた荷物が重量を増した気がした。

カリカリしないの、どうせ、なるようにしかならないんだからバカンスだと思っておいた方が気が楽よ。 別にウォトカとかを三、四本明けたわけじゃないんだし」

「それやったら放り出すよ」

「酔って暴れそうだったら、バスルームに連れてって、水の張ってないバスタブのなかに落ち着くまで入れてくれればいいから」

「酔っぱらった後の後片付けは誰がするのよ……」

「時間もあるし、とくべつする事なんかないんでしょう?」

「それはそうなんだけど……」私は呆れて溜息をついた。「なにかつくろうか?」

「だいじょうぶ。何かってきたの?」

「ピクルスや、小麦粉、卵なんかの食べ物とか、ちょっとした生活用品とかそんなところ。大したものじゃない」

「じゃあ、ピクルス貰っていい? そんなにいらないから。キュウリとかスライスしてくれるだけで十分」

「わかったちょっと待ってて」


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 その晩、私たちは一緒のベッドで体を重ねあわせた。

 気怠い疲労感を感じながら横になっていると、

「ねえ、アリサ、あなたの家族はどんな人?」とレーニャが聞いてきた。

「珍しいこと聞くね」

「聞いたことなかったから」

「そうだね……」少し間をおいてから私は話し出した。「うちは、父親と母親がいるけど、どっちも尊敬できる人では無かったな。正直なこと言うと、こっちに来たのも親から離れたかったからだし、多分学舎を卒業していたとしても、家には戻らなかった気がする。良く結えば古風、悪く言えば私を型にハメようとするタイプなんだ家の父親は」

「それで」

「もっと聞きたい?」

「うん」

「まあ、悪口を言おうとすればもっと言える。融通効かないし、他人という存在が上手く理解できない人なんだと思う。自分が思っていることは、みんな同じことを考えてると思っている。母親の方も、なんやかんやで私に干渉してくるタイプだった。だから息苦しかった。でもね、周りにこういう事はなかなか言えなかったな」

「なんで?」

「世の中の大半の人間は、〝普通〟の範疇に入る人たちだからね、そういう事を言うだけで怒られたりするんだよね、育ててもらった親に対して言う事か。ってね。そういう人たちも、世の中には普通じゃ有り得ないような行動する人たちが見えてないんだよね。そんな変な孤独感をここに来るまで感じてた。そっちはどうなの?」

「私? うちはね、両親はもうこの世にいないんだ。魔術関係の研究者だったんだけど。いろいろ危ない事にも手を付けていたみたいで、良くないことに巻き込まれたみたい。詳しくは知らされてないんだよね、死因とかそういうの。あとは兄が一人。ミハイルっていうんだけどみんなミーシャって読んでる。結構カッコいい顔立ちしてるんだ。おまけに私よりも頭がいい。天才肌っていうのかな、何でもそつなくこなして、つかみどころがない感じ。持てる割に浮ついた話も聞かないんだよね。今は無いやっているかは知らないけど、最後にあった時はいろんなところから引っ張りだこだったよ。そんなミーシャを私は家族としても人間として尊敬してるかな」

「へー、意外レーニャがそんな風に他人を褒めるなんて。でも想像できない、レーニャよりすごいって、私から見たら、レーニャだってとんでもないのに」

「上には上がいるの」

レーニャは私に両腕を回して、首元に唇を押し付けた。

「どうしたの、突然?」

「こういうこと、あとどれくらいできるかなって」

「不吉なこと言わないでよ」

「ねえ、もし私が〝未来が見える〟って言ったらどうする?」

「えー……どうだろう。受け入れちゃうんじゃないかな? たとえその未来が悪いものだったりしても」

 そう言うと、レーニャは笑って、私の頬を撫でる。そして私とレーニャはキスをした。

 静かに、そして長い間。