僕はたいした理由もなく君の手を握る 第二十六章(終)

ミーシャは、確認するように棺に入った亡骸を眺めていた。棺には今にも動き出しそうな紅い髪の美しい女性が眠っていた。

「ミーシャ」

「妹のエレナ。みんなレーニャって呼んでいた」

「そうか。美しい人だったんだな」口から出るのはそんな陳腐な言葉。それ以上は何も話せなかった。

 しばらくすると、初老の男性が安置室の中に入ってきた。

「お待ちしておりました。あなた方がエレナさんのご家族の方で宜しいでしょうか?」

「はい」ミハイルが答えた

「書類などの方は、お連れ様に書いていただきましたので、ご確認だけお願いします」

「すみませんが、そのお連れ様というのは」

「さきほど、お二方が入られるのを確認して、お帰りになされました。なんでも、エレナさんのご学友だそうであなた方がいらっしゃられるまで、故人様に寄り添っておられました」

「書類の方いいですか」

「はい、こちらです」

 俺も、横目でちらりと見せてもらった。署名欄にArisaと読める筆記体のアルファベットが書かれていた。

「遺体の安置から葬儀一色にかかる料金はすでにお支払い済みです」

「他に何か言ってませんでしたか? 言付けとか」

「言付けではありませんが、よろしくお伝えください。という事とお金の事は心配しないでくれとおっしゃってました」

「そうですか」

「葬儀はどうなさいます? 突然で、悲しみの中、申し訳ありませんがここでは火葬という形を取ることにはなってしまいますが日程とお時間の方を決めさせていただきたく……控室がありますので、どうぞそちらに」


―――


 そして翌日、ささやかな葬儀が行われた。

「これが最後のご対面となります」

 棺が開けられ、ミーシャは、冷たくなった妹の方に手を触れる。しばらくじっと妹の亡骸の側にたが、満足したのか一礼をして離れた。

 俺はその姿を眺めている事しかできなかった。

 血の気のひいた亡骸は人形のようで、今まで動いていたとは信じられないくらい完成された美術品のように美しかった。

「よろしいですか? これが本当に最後のお別れです。では僭越ではございますが、私からお別れの言葉を捧げさせて頂きます」


 幾ら祈りを重ねても

 逝きにし人は還(かえ)らざる

 いくら月日は廻(めぐれ)れども

 しばし求めむ面影(おもかげ)


 老人は短い四行詩を呟くと、棺を閉じて、それから俺たちに話しかけた。

「生きる者は皆、いつかは終わりがあります。どんなに願っても、戻ることはありません。悲しいですが死者の冥福(めいふく)を祈りましょう」

 火葬炉の扉が開かれた。

 中に棺が吸い込まれていく。

 そして、扉が閉まり、炉に火が点けられた。