文章を書くことについての心構えとか意識的な何か

なんやかんや生きているうちに、一般の人と比べれば、それなりの量の文章を書けるようなっていたわけだけど、文章の書き方というのは技術的側面(理屈)と、理論とは別に感性(感情)のまま書きつらねるという側面があるように思う。

個人的には、技術側面だけで書くのはアホだと思うし、逆に感情だけで書くのもバカだと思う。特に他人に読んでもらう文章には。

結局のところ理屈を無意識にできるようにして、感性を文章に落とし込んで、理論的にコントロールするのが一番だと思っている。異論はあるだろう。でも書くことはとても個人的な行為というスタンスなので、これが自分の考えだ。

基本的な事だろうけど、良い文章(というか、わかりやすい文章)は主語と述語が明確であること。つまり『誰(主語)』が『何をした(述語)』という事がわかること、言い換えれば『始点』と『着地点』がちゃんとあるという事。そこを抑えとけば、大半の文章はとんでもないことにはならない。

いわゆる複文*(述部が二つ以上や主語と述語の中に更に主部や述部がある状態)の場合は構造が複雑になるから、そこでめちゃくちゃになる事は時々あるが、そこさえ気を付ければ悪くない文はつくれる。
*複文の例(一部)
 (a)が主語 (b)が述語
  1. (a) 僕は (b1) ベッドに入りながら (b2) 本を読む。
  2. (a)彼女は [主部] キスをしながら[述部]、 (b)僕を[主部] 刺した[述部]。
  3. [(a1)地震{(a2)彼が((a3)テレビを(b3)見ながら)(b2)食事していた時}(b1)起ったが]すぐおさまった。
   etc...

別に流れるような詩的な文章を書く必要はない。詩的な文章は綺麗かもしれないが、スパイスのように要点で使わないと情報が不足しやすい。それに理解するのに教養という一種のコード(暗号)の様なものが必要だし、目的なしにつかうと痛い目を見る。(まあ、これはアニメ、マンガなどの『お約束』と同義だから否定はしないけど結果的に読者を狭めてしまう)一定の読者を排除したり、コントロールしたい場合以外に使うのはオススメしない。

結局のところ、物書きを目指すもしくは、ある程度まとまったものを書きたいと思う人は、ある程度まで運用できる程度に文章の基礎知識を叩きこんだら、理屈、理論にとらわれず思いつくまま量を書くことを第一に考える方がいい。言い換えれば『今書きたいものをがむしゃらに書くこと』

書き始めたら、余計なこと(他人の視線、どう評価されるか、取らぬ狸の皮算用)は考えない
。まずはやり遂げる事。出来上がってからでも文章は直せる。出来上がったら、他人や上手な分との比較検討、それから問題点の洗い出しは後でやれ。幾ら文章が上手くても、書き上げない事には戦略は立てられない。

自分は文章が上手いだけの人間よりも、書き上げられる力のある、文章の下手な人間の方が個人として評価するしされると思う。どんなに下手糞だろうが、何かを形にすることは尊い。あーだこーだ悩んだり、口先だけの理屈や、いつかやる、書くのヤルヤル・カクカク詐欺をする前にとりあえず書け、頭じゃなくて手を使え。手を使いながら考えること。

考えすぎるな、自分の感情に素直になれ。
書く場所を与えられたら、何でもいいから表現しろ。

それが、文章を書くときの心構えだと自分は思う。