下手くそでも丁寧に

「下手でもいいから丁寧にやりなさい」小学校の頃の習字の先生や、図画工作とかの授業とかで、それに似た事を言われた人は多いと思う。

自分もあの頃はその意味がわからなかったし、下手は下手なんだから比べたところで誤差の範囲内みたいだし、最悪の場合下手すぎて原因を探る以前に何をやればいいのか判らないことの方が多かった。結局その意味がわかるようになってきたのは二十代を超えて、色々なことを自分でやるようになってからだ。

実際問題、同じ物でもほんの少しの差で選ばれたり、選ばれなかったりという違いはある。

本屋さんとか見ればわかるけど、片方の方は本のジャケットやカバーが傷ついたり、本文用紙が酸化して黄ばんでいる、片方は目立った傷は見当たらない。もちろん本の内容は一切関係ない。でも、大半の人が選ぶのは見た目がきれいな方だ。他の物にしたって、ひとが使うことで付加価値が上がるもの以外は新品に近いものが好まれる。

特に日本では、高温多湿のお国柄ということもあって、物が傷みやすい風土であったがゆえに極端なほどの新しい物信仰がある。良いか悪いかは別にして、それが現実だ。

似たようなものが二つあったとき運命を大きく分けるのは、ちょっとした小さな差なのだ。人間関係においてだって、恋人になるかならないかだって、日頃のちょっとした生活態度や気遣いが決め手となる時もあるわけだしね。

人間は客観的な事柄においては思った以上に細かい点に気がつくのではないだろうか? 丁寧か丁寧じゃないかとかそういったことは、思った以上にに判別できる。それ以外にも言語化するのは難しい事柄にしたって、『あ、こんなところに気を使っているんだな』とか、『こんな細かい作業をしているってことは、手間と時間がかかっているんだろうな』という無意識の情報量の差みたいなものには敏感に感じ取れるんものなのだろう。

プロかプロじゃないかの差、一過性のブームと日常に定着するものの違い、そういったものの差はきっとこういうところにある。

もしあなたが、そういうのが判断できるなら、気付けた部分に対する投資や資本投下は惜しまない方がいい、ケチっては駄目だ。他の人の目が気になるかもしれないが、周りが賛同していなくてもなにか感じるものがあるなら、感情・感性に素直になること。それはきっとあなたのためになる。かけがえの無いものになるかもしれないし、運命かもしれない。

作る側にいる人は報酬や、対価、時間に兼ね合いはあると思うけれど、その限られた制約の中でも、その他以下で許容できるラインでいいから、時間が許す限りネガティブ要素をつぶした方がいい。というかネガティブ要素を限界までつぶせ。そして今出来る最善を尽くせ。

その気持を実行していれば、貴方にもちょっとしたきっかけで幸運が舞い降りるかもしれない。