続・消えゆくラムネ瓶の話


なんか、今朝からTwitterの方でラムネの話題がバズってるようで、その余波が私のアカウントにも、少々ありました。有難いことに過去記事『消えゆく『本物』のラムネの話』もアクセスが増えていて有りがたい限り。別にラムネマニアでもないんだけど、記事を書いていてよかったなと思った。

個人的には、これを期に、あの特徴的なラムネ瓶(コッドネック・ボトル)についての知識が少しでも広まってくれれば有難い限り。フルガラスの瓶は既に製造機械も型もなく、今ある瓶を洗浄・消毒してどうにか生きながらえている。それがまだ安い値段で飲めている。それだけわかってくれれば。

私は『あの件』にに関しては特に言うことはないんですが、一言だけ言うとしたら、ラムネ自体が日本で一番安い炭酸飲料というポジションだったこと、成り立ちとして一般的に取るに足らないようなものだった以上、今までどおり安く提供する以上、定期的に起こる事故ではあるだろうと思います。

ここでするべきは、特定の誰かを悪人に仕立てあげ攻撃することではなくて、これを期にどう対策を立て、一般の人に啓蒙していくか。それだけだと思います。というか、起こったことを攻めてもどうにもならないので、事故をデータベース化して、対応を考え同じ事故が起こらないようにする。それだけだと思います。

ラムネの存在自体現代では危ういものです、流通販売できるのがローカルに限られる。製造するところも抽象や個人商店、ビンは重いし、流通も広範囲になればビンが回収できないので、フルガラスの再利用可能なリターナブルボトル自体、流通が活発になった現代で生き残る合理的な理由がないものだから、どうやっても消えていくしか無いんです。

だから今でも飲めること自体が奇跡と同様なんです。きっと。毎日飲むようなものでもないし、特別これが飲めないと死ぬようなものでもない。それが現実。

私もこの夏、時間があった際、柴又にラムネを飲みに行きました。自分の地元にあったラムネにどことなく似ているんだけど、でもやっぱり子供の頃飲んだラムネの味そのものではなかった。

小学校前の駄菓子屋の風景もなければ、子どもたちの姿もない、決定的に何かが足りない喪失感のほうが強かった。ラムネのガラスの飲み口の感触がリアルであればあるほど、余計に強調されてしまって奇妙な感覚に陥ってしまった感じがある。

結局のところ、自分にとってのラムネって味とかよりも子供時代の思い出とか、記憶を味わうもので、記憶の引き金(トリガー)なんだろうな。ラムネというのは記憶を味わうためのものになってしまったということだろう。

まあ、本気でフルガラスビンでラムネを飲みたい、作りたいというのなら、今すぐ行動に移さないと多分後がないんじゃないかな。幸いなことに、素晴らしきインターネットの世界というべきだろうか。ネットでCodd bottleを探せば、インドの業者が見つかる。日本に輸入できるかは知らんけど、英語は通じる(多分)。

ビンの質や、規格が日本のものと同じとはいかないかもしれないけれど、それでもないよりはマシなレベルにはなると思う。ラムネを作っているのは、本当に中小の個人ばかりだから現実的な方向に行くかはわからないけど。復活の希望は、まだどうにか残されているかもしれない。

http://www.indiamart.com/khandelwal-glass-works/
http://www.tradeindia.com/fp144465/Codd-Bottles-Making-Machine.html