冬コミ新刊『真夜中の雨』
最近はもうコミケ告知とかにしか、ブロマガ使ってない感じで申し訳ない。書きたい記事はあるんだけど時間がないんだ。という言い訳は置いといて。
コミケ受かりました。新刊も出ます。
12/30(二日目)スペースは、西1ホール は15b MOZA MOZA です。
新刊はThe Smokeシリーズ最新作『真夜中の雨』です。
今回はナンバリングタイトルではなく、十枝舞を主人公にした独立タイトルという扱いです。
スーパーヒーローやカッコいい女性探偵が出てくる好きな方おすすめです。
なので、The Smokeを知らない人でも、この本一冊で楽しめます。A5サイズ72ページ 600円で頒布する予定ですので是非スペースに立ち寄ってください
今回は本当に進捗がしんどくて、完成するかも危なかったので、アンソロが縁で仲良くなったQ式さんにストーリーアシスタントというか、どこぞの青狸よろしく泣きついて、ストーリーラインと書きかけの原稿をみせて、問題点を洗い出し、ストーリーの穴の部分を指摘・相談して、一部のシーンをQ式さんに書いてもらい、それを書き直すという方法をとりました。あらすじ
極東自治区―先の大戦により、亡命した外国人の特別居住区から発展した日本の特別管理区域。その為に、他の地域にはない歪みが発生し、法で裁けない悪を裁くために自警活動する者たちが現れるようになった。
十枝舞は警察を辞め、気持ちも新たに私立探偵業にいそしんでいた。ある日彼女のもとに宮本楓と名乗る少女が何者かに追われていると相談にやってきた。しかし無残にも彼女は殺されてしまう。
理不尽な現実にやりきれない思いを抱えながら舞は事件を追いかける。彼女の父親からも犯人を探し出してほしいと懇願され、犯人の動機も何もわからないまま捜査を続けるうちに舞は、あることに気づく……
この作品ができたのは、正直Q式さんのおかげなので、ほんとに足を向けて寝られないというか、頭が上がらないというか、本当に助かりました。おかげで入稿できたのだから本当に感謝しかないです。
今回もBook 3から継続で伊崎美悦さんにお願いしました。毎回美麗なイラストを書き上げてくれるのでほんと助かっています。
伊崎さんの絵だけでモトがとれますので、二日目に文芸島に行く方はぜひ手に取ってもらえるとありがたいです。内容も面白いのでコミケに来た際はぜひ手にとって見てください。
以下はページサンプルです。
C90に参加するので宣伝。
ギリギリになってしまいましたが8/14(三日目) コミケ90に参加します 。 コミケ合わせの新刊はありませんが、近刊の『あるべき時、あるべき場所』と既刊を持って行きます。なかなかの力作ぞろいですので是非。
なお、当日は獏八重樫さんたちのサークル『S.o.N』や高柳総一郎さんが参加する文芸サークル『かげふみ同好会』なども参加していますので、そちらにも足を運んでやってください。特に獏さんのところの『シルエット・クライ』は超オススメですぜ!
今回は特別に『あるべき時、あるべき場所で』の内容紹介をしていこうかと思います。この本は、同じプロットを使っていろいろな人が作品を書いたらどんなものが出来上がるか? というアプローチで編纂された短編小説集です。六名の参加による珠玉の作品が詰まっています。
ぜひコミケ当日はMOZA MOZAへ、遊びに来てください。お待ちしております。東京行きのぞみ最終便 京都発二十一時三十七分
高柳総一郎今年、四十になる菊田は役者として燻っていた。久しぶりのドラマ出演であった時代劇も、共演の大スターと馬が合わず降板させられてしまう。
彼には、ささやかながら科学で解明できない超能力を持っていたが、特別優れている特殊能力という訳でもなければ、他のことに役に立つものではなかった。
降板を申し付けられたその日のうちに終電の新幹線に乗っていると、一人の小綺麗な紳士が現れて「お仕事の話をしに参ったんです……」一体この男の目的は何なのか?
メアードを探せ
弥生ひつじ僕は仕事から開放されて帰路についていた。電車から降り、街角のタバコ屋に近づいてみると『宝くじ販売中』という文字が目に入った。中に入ると怪しげなオーラを醸すサングラスをかけたおじさんがいた。僕は宝くじを連番で買ってお釣りを受け取ると、「君、ちょっと待ちたまえ」と呼び止められた。
おじさんは言う「君にはメアードを発掘する才能がある。俺たちの仲間にならないか?」
流れ、落日の果て
志津〈お目覚めですか、ミスター〉子供の声をベースにした合成音声が頭上に響く。こちらを見下ろすモノアイ。ロボット。名はボトム。身長は十歳くらいだろうか。男は荒野に倒れていたのを彼によって発見されたらしい。ここは危険区域にある研究所だった。そこでウィルソンという研究所の所長から、ここで勤務しないかと話を持ちかけられるも男はそれを断り荒野へと向かう。そんな中研究所が異能を持つ先住民の末裔――「魔法使い」に襲撃され、ボトムに再度命を救われる。彼は煙の上がる研究所をあとにすると危険区域から国境へ向かい始めた。
夜が明けるまで
爆八重樫藤堂ユウシロウと妹のイオリは街を転々としていた。イオリには特殊な〈治癒〉の能力があった。そのせいで彼女はその能力に群がる者共から追われる身となっていたのだ。そんなある日、二人の住むアパートに来客がやってきた。イオリと同じくらいの歳の少女――紫芝ミズヒ。彼女も水費と同じ能力者だった。ミズヒはイオリに訴えかける「あんたの力を貸してもらえないか頼みに来たんだ。――『癒しの力』を貸して欲しい」と。
愚者の炎にくちづけを
Q式炎はいつも体の内側からやってくる。鮫島朱空(さめじましゅら)は〈念動発火――パイロキネシス〉の異能保有者だった。ある日その能力を使って火事を起こしていると「綺麗ね――あれはいい炎だ」という甘ったるくて官能的な声が背後から聞こえてきた。
目の前に現れたのは、黒いトレンチコート姿の女――日向水蜜(ひむかいみなみつ)彼女は魂ごと全身を蕩けさせてしまいそうな絶世の美女だった。そして彼女はつぶやく「鮫島朱空くん。わたし、あなたを誘惑しにきたの」と……
あるべき時、あるべき場所で
ロナルド 始澤その日は、吸い込まれるような青い夜だった。俺は仕事を終えて、大通りの歩道橋を歩いていた。急に突き刺さるような視線。カラスの鳴き声。そこには魔女のような黒いドレスを着た長い髪の少女が立っていた。俺は彼女に話しかけ、二言三言、言葉を交わした。彼女は俺に用があるようだったが引き止めることしなかった。最後に「これが運命ならば、何をしなくても、また引き寄せられる。また会いましょう」そう言って彼女は消えた。これからきっと何かが起こる――いいことか悪いことなのかはわからないが、そんな予感がした。
同人誌の造本設計『あるべき時、あるべき場所で』
お久しぶりです。最近は残業続きで心も体も弱りかけで若干しんどさを感じつつも生きてます。夏コミ当選しました三日目 東 ハ07a MOZA MOZAです。是非遊びに来てください。
さて、そんなことは置いといて、参考になるかわかりませんが、たまにはGWに作ったアンソロジーの造本設計について書いていこうかと思います。どれも、これも印刷所のセットパック、InDesign、特定のフォントとまとまったお金があれば出来るものです、昔と違って個人でも金を出せばそこそこのクオリティーのものは作れます。
■外観
今回作ったのは同一プロットアンソロジ―『あるべき時、あるべき場所で』
基本設計はA5サイズ 216ページ ガンダレ装(フランス表紙)。本文用紙はコミックルンバクリームを使用。印刷所は特殊加工の関係上、緑陽社にお願いしました。
特殊加工として小口側アンカット風製本にしてあります。
袖のある本を作りたかったんで、フランス表紙にしました。袖があるだけで、上品なイメージが出てくるのがいいですよね。
小口側は洋書のDeckle Edge(デッケル・エッジ)を模したかったので、小口側をアンカット風仕上げにしてもらいました。流石に洋書によくある折がガッツリわかるようなアンカットというわけには行かなかったのですが、こんな感じで仕上がりました。『小口アンカット風製本』と指示すれば追加料金で加工してくれます。
※Deckle Edge 参考 洋書 Penguin classics deluxe edition “Rashomon and Seventeen other story”より。
背の厚みもそこそこあって、本らしい仕上がりになっています。
■本文
本文は10ポイント、行間7ポイント 23文字×19行二段組。本文文頭はドロップキャップ。
A5サイズなので本文書体のサイズも少し大きめに、行間も広めに取ってリッチな仕上がりになるように意識しました。
本文用紙に関しては、個人的にはクリーム色のもう少し軽くて厚めの嵩高紙だと良かったんだけど、印刷所の本文用紙にあまり選択肢がなかったので許容の範囲内だったコミックルンバクリームを選択。若干重いがしなやかだし悪くはない用紙ではある。
個人的に軽い紙のほうが好きなのは、読む時も疲れないし、持ち帰る時、ダンボールが重くなって輸送費が高くなってしまうという理由もある。
巻末には本文書体解説をつけています。今回使用したのはリュウミンとリュウミンオールドがなとMinionを使いました。見出しとか一部の文字にはそれ以外も使っているのですが殆どはウエイトは違えど、これらのフォントファミリーを使って構成しています。
何と言いますか、この程度のクオリティなら文章系同人誌でも普通にできるようになってきました。ヘタすれば、コスト面で商業にはできないような、豪華な造本だって金かければ普通にできますし、デザインの面で冒険も出来るわけで自分の作品を本にしたいなら、同人誌っていうのも昔と違って妥協ではなく攻めの選択かもしれないです。
自腹を切っている分、エッジの利いた作品やクオリティを担保した作品は創作同人の世界にもたくさんあると思うので、イベント等に足を運んで開拓していただける方が増えるとありがたいなと思っています。
実際に現物を見たい方は、コミケや自家通販、その他イベント出店時に取り扱ってるので是非手にとって見てください。では。
装丁について
今回、GW合わせで同一のプロットから、それぞれの作者が物語を紡いだ小説アンソロジー『あるべき時、あるべき場所で』を編纂しました。
伊崎美悦さんによる上品で美麗な表紙、主筆の私を含め六名の執筆陣(高柳総一郎さん、弥生ひつじさん、志津さん、爆八重樫さん、Q式さん)による上質な物語が展開されております。
同人誌だからこそ出来ることをおもいっきり詰め込んだ作品になっております。是非このゴールデンウィークにはMOZA MOZAのスペースに是非足をお運びください。在庫状況にもよりますが、なるべく多くの手に届くよう遠方の方には自家通販も行う予定です。
頒布情報:
5/1 第二十二回文学フリマ東京 キ‐41 MOZA MOZA
5/5 COMITIA 116 S40a MOZA MOZA書籍情報:A5サイズ ガンダレ(フランス)表紙 デッケル・エッジ(Deckle Edge:小口側アンカット風製本)
ページ数 220ページ(表紙含む)
頒価 1,500円(イベント価格)
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自分は割と、同人誌作る時装丁を意識する方だと思う。というか、かなり初期の方から、本の形にすることに意識していたと思う。とはいえ、完全にゼロから始めてるから、様々な入稿ミスやデータエラーやら、若気の至りやらの苦渋は舐めているんだけど、それはまた別の話なので、また別の機会に。
というわけで今回は装丁の話。
同人誌で小説を作るということは、本のデザインも一緒に考えなくてはならないということでもある。正直な話、文章だけに特化してるひとなら、公募に出したほうが早い。同人誌を作るというのは、本造りから、編集、宣伝、販売まで全部一人もしくは小グループでやる総合プロジェクトのようなものだ。だからこそどういうものを作りたいのかが大事になって来る。
とはいえ、印刷所のセットパックをつかえば、版型に関して言えば、どうにかなっちゃうと言うか消極的選択で住んじゃうことではあるんだけどね。
本文を作ることだけが小説じゃない。本の形にした時その本はどういう内容に見えるかとか内容が伝わってくるかということも大切だと思っている。作者の意図を伝えないことには手にとって貰える確率は低くなる。だからこそ、その意図を伝える方法を、考えるだけで差別化が出来るわけだ。
印刷所の本文用紙の選び方だって同人小説なら作者の意図が出てくる。自分の場合は、物語に集中してほしいからなるべく軽い用紙を使うようにしている。重い本文用紙を使ったりすると、長時間の読書してれば手が疲れてくるわけだし。
逆に重さを犠牲にしてもずっと大切にして欲しいと思うなら、劣化に強いが重くて硬い上質系の本文用紙を使うといったアプローチだってある。そういったちょっとした考えと言うのは、本というパッケージングした際に効いてくる。最終的には自分が作ったものをどういう形で届けたいのかを考えれば、ある程度の方向性は定まってくると思う。
自分は本を作るときに書体も考えながら文字を組みます。今回は基本的に縦書きにした時、文字を意識することなく、するすると引っかかりなく読めるような癖のないデザインの書体を選びました。下の画像が今回のアンソロジーの本文書体解説です。
フォントだってそのフォントを作ったデザイナーが、同った使い方をされるか見越してデザインされている。明朝体でさえ見出しに向いたフォントや縦書きに向いたフォント、横書きに向いたフォント。古風にデザインしたフォント……等々があるわけで、それを意識するだけで、ある程度綺麗には文字が組めるんだよね。
字間だって、文章の情報量が多いからあえて行間を広げて一文に集中させるというアプローチだってある。逆に文章のつながりを強くしたいから、行間を狭める方法だってあるわけだ。既存の紙、既存のフォント、既存の字間、どこにでもある既存のものだって組み合わせればオリジナリティーが出てくる。
装丁はセンスがどうだとか難しいことじゃなく、本の形にした時、読みやすい、使いやすいかっていうのが上手く言ってれば成功なんだからね。既存のデザインを意識しつつ、どう遊びを加えるかだと思う。自分が作って楽しければそれはそれで成功だ。
今回の装丁は小口折のガンダレ(フランス)表紙に小口側アンカット風装丁の組み合わせです。参考にしたのはペンギン・ブックス社のクオリティー・ペーパーバックレーベルPenguin Classics Deluxe Editionをモデルに装丁してみました。予算とクオリティーの兼ね合いがないわけじゃないけど、なるべく色々な読み方をしてもらいたいし、賞味期限を長くするためにもかっちりしたデザインにしました。下の画像の本よりかはアンカットのガタつきは弱くなるとは思いますが、こういった感じの小口の本にはなる予定です。
現代の製本では、こういったアンカット風装丁は変形裁断扱いなので、ちょっとした特殊加工になってしまうので、幾つかの印刷所に問い合わせて、緑陽社さんが加工可能という御返事をいただきお願いすることにしました。
装丁や版面の魅せ方で劇的に物語が伝わるチカラは変わると自分は思っています。印象というのは料理における香りのようなもので、時に食欲を引きたせたり、味を強化するものだと思っています。自分は読者になるべく寄り添いたい、だからこそ魅力的になるために装丁にも力を入れたい。上手く行かないこともあるし、大半は自己満足ではあるのだけど。
小説アンソロジーを編纂してみて思ったこと。
今回色々あって主筆としてアンソロジーを組むことになった。細かいことは今度頒布する同人誌の序文を読んで頂ければと思う。
本題に張るが、ぶっちゃけアンソロジー組むのって、好きじゃないとしんどいし、作業も割に合わないことも多い。主筆をやると
- テーマ立案
- スケジュール作成
- おおよその予算決め
- 人集め
- 依頼
- 進捗管理
- 編集
- 入稿
といったプロセスをたどるんだけど、今回は、各自の完成原稿待ちじゃなくて定期的に進捗確認して全体像把握したりしたから、締め切り周辺で原稿待ちしたりすると結構ヤキモキしたりした。人との相性ってのもあるから、とりあえず感情をニュートラルにしつつ、過剰に付加をかけないように気をつけたりとか、相手がどう感じたかは俺の知るところではないが、自分なりには気を使ったつもり。
労力の割にアンソロジーは売れるものではないし(自分で一冊仕上げられない人が、どうにか集まって統一感のない原稿を作ったり、クオリティコントロールができてなかったりという事例もあったりするので、ネガティブ要素が多いし博打要素も大きい)、自分自身、同人小説のアンソロはあまり手に取らなかったので、その分、いろいろな同人アンソロを読んで自分が感じたネガティブ要素を潰すように心がけたつもりではあるんだけど、実際読者がどう感じるかは読んでくれるまでわからない。
自分も幾つかの爆死事案を見てきたので、アンソロはやろうと思ったことは今までなかったんだけど、いろいろな巡りあわせで主筆になっちゃったんで、やるからにはとことんやろうと思って準備をした。元々やってみたい装丁とか、アンソロというものを『本として』組むことには興味はあったし、同人誌を編集することは嫌いじゃない。
今回声掛けした人は、初めてのアンソロで、むやみやたらに募集をかけられなかったのとクオリティーコントロールの意味も兼ねてうちのサークルの本を読んでくれていて、皆さん自前で同人誌なりWEB小説なりを完成させたことのある人(自分の代表作的な物がある人)に絞ったので、みんなそれなりの原稿を上げてきてくれた。
実際に主筆をやってみて思ったのは、主筆の面白みは編集権の行使だと思う。特に『本』を作りたい人にとっては、他人の原稿を見ながら、どういうふうに読者に提示しようとかそういったことを考えられた。自分も書いたけど、第三者の原稿を扱うから、客観的に色々見ることとができたし、色々と勉強になったし経験になる事も多かった。変わったことにチャレンジするのも時にはとても楽しいことだと思う。
ということで、ゴールデンウィークにうちのサークルのアンソロジーが、皆様の手元に届けられることを楽しみにしている。
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5/5 COMITIA 116 スペースNo. S 40a MOZA MOZA にて頒布。
220ページ(表紙含む) A5二段組ガンダレ(フランス)表紙 頒価:1500円
表紙イラスト 伊崎美悦
収録内容
高柳 総一郎 (代表作:必殺断罪人シリーズ)
『東京行きのぞみ最終便 京都発二十一時三十七分』
弥生 ひつじ (代表作:FOR YOU、アンドロイドは文学少女に夢を見るか)
『メアードを探せ』
志津 (代表作:義手に花束を)
『流れ、落日の果てへ』
獏 八重樫 (代表作:シルエットクライ、月花に捧ぐ)
『夜が明けるまで』
Q式 (代表作:迷宮のウルトラブルー)
『愚者の炎にくちづけを』
ロナルド 始澤 (主筆 代表作:The Smokeシリーズ)
あるべき時、あるべき場所で
小説アンソロジー作りました。
どうも、ご無沙汰してます。しーざーです。本の入稿が終わりましたんで宣伝。
GW合わせでアンソロの主筆をやりました。今回はお祭り気分です。
タイトルは『あるべき時、あるべき場所で――同一プロットアンソロジー』
六名の執筆陣と伊崎美悦さんによる美麗な表紙イラストの素晴らしい本になっています。
頒布は5/1 第二十二回文学フリマ東京 キ‐41 MOZA MOZA
5/5 COMITIA 116 スペースNo. S 40a MOZA MOZA で行います。是非お立ち寄りください。
今回はデラックスな感じで装丁を文芸書っぽく、贅沢にがんだれフランス表紙に本文が小口側アンカット風製本になる予定です現物が納品されるまでは確認ができないので。特殊装丁が入るってこともあって緑陽社さんに印刷をお願いしました。
若干お手間がかかっているので、頒布価格は1500円です。お高いかもしれませんが220ページ表紙込みというボリュームなので、お値段分の満足感は確実に得られます
おかげで俺の安月給一ヶ月分額面+諭吉数枚が飛んで行きました。おおよそ普段の印刷費の二倍ですね。本気でやるとやっぱり金はかかる金を出せば解決できるともいう。
幾つかの爆死事案を見てきたので、アンソロは絶対やりたくないと思っていたんだけど、自分で主筆やるとは思わなかったです。やるからには、本気を見せないといけないということで本文の書体・版面設計は商業文芸的なものとあまり大差のないものに仕上げたつもりです。是非、本を手にとって是非お確かめを後々サンプル公開します。
今回は、主筆がプロットを組んで、それを元に物語を作ってもらうという『同一プロット』という形を取りました。同じプロットから、これほどまで違う物語が出来るのかとびっくりしていただければ、こちらとしてはありがたいです
今回の編纂に関しては、初めてのアンソロジーを組むにあたって、皆さん自前で同人誌なりWEB小説なりを完成させたことのある人自分の代表作的な物がある人に絞って、知り合いに声掛けしたので、みんなそれなりの原稿を上げてきてくれました。客観的に見ても今回のクオリティは折り紙つき。主筆が保証します。
今回の執筆陣
高柳 総一郎 (代表作:必殺断罪人シリーズ)
『東京行きのぞみ最終便 京都発二十一時三十七分』弥生 ひつじ (代表作:FOR YOU、アンドロイドは文学少女に夢を見るか)
『メアードを探せ』志津 (代表作:義手に花束を)
『流れ、落日の果てへ』獏 八重樫 (代表作:シルエットクライ、月花に捧ぐ)
『夜が明けるまで』Q式 (代表作:迷宮のウルトラブルー)
『愚者の炎にくちづけを』ロナルド 始澤 (主筆 代表作:The Smokeシリーズ)
あるべき時、あるべき場所で
表紙イラスト:伊崎 美悦 (代表作:科学部が廃部しそうです(笑。 )
いつの間にか大人になっていた
生きている限りは歳を取る。生きている以上は当たり前なんだけど、精神的な意味ではいまだに大人になった気がしない。心の何処かでは、いまだに気持ちの中では大学生くらいのまま、時が止まってしまったかのような気分だ。
いつの間にか年齢の上ではお酒も飲めるし、タバコも吸える、ギャンブルもやれるしエロビデオもエロゲーも変える。(残念ながらお酒も飲めないしタバコも吸わないし賭け事もやらないので、その権利を有効活用できているわけではないが)金さえあればだが、法を侵さないかぎりは自己責任でなんでもできる。あっという間に子供時代は過去のものとなってしまった。
その割には、ビジネスマナーや振る舞いなんかは、大人と言うには若干心細いし自分でもどこか、ちぐはぐな印象を受ける。とはいえ、大半のことでは驚かなくなったし、人前に出ることに耐性がついたり、ある程度のことは自分でやれるようにはなったとは思う。とはいえ、しんどいことも、楽しいこともあるけどね。
とはいっても思ってもいないことも起こるし、いつの間にか考えてもいなかった講師業をやってたり、孫の顔くらいは見せられるんだろうな―とか思っていたら母親が病気で亡くなったり、何故か友達のほとんどが、普通では出会うはずのないようなネットと同人イベントで出会った人たちばかりになったりと予測不可能なことも起こって、人生はなるようにしかならないんだなと思ったりしてます。
案外真面目に生きてたら人生って、すごい短いのかもしれないとも思う。考えれば考えるほど、一人の人間が一生にやれることなんて限られてるなと感じる。どうにもならないこともあるけれど、それでも大半のことはどうにかなるし、だいたいのことは落ち着くべき所に落ち着く、世の中はそういうもんみたいです。
今年もあけおめ
久しぶりのブロマガです。転職してからというもの、まとまった時間が取りづらくなったのと、休みの日は精神的に何もやりたくない事が多くて、元々ネタが有るときに、ストックが無くなるまで書く感じだったんですが。そのネタを温めることがあまりできなくなってたのでこの体たらくです。
今年はまとまった量のブロマガ記事やエッセイ書きたいなってのがあります。仕事忙しくても定期的にアウトプットしたい。ちょっと創作よりのことで書きたいネタが幾つかあるので、それをどうにか出来たらなって感じです。
でも、時折同人系のノウハウ記事の閲覧数が定期的に上がっていたりするので書いていてよかったな、とは思います。一体どんな人が見ているんでしょうかね。
同人関係の近況といえば、小説のアンソロを作っています。一応、去年の夏頃から動き始めてゴールデンウィークのイベントに合わせる方向で動いています。今回はアンソロの主宰が初めてということで、作品に目を通したことのある身近な知り合いに声かけた感じなので表立って募集かけたわけではなく、ある程度、量がかけたり、同人誌を作ったりしていて最低限の筆力があり、自分の作品を読んでくれたり、こっちが声かけた人の作品を読んだりした人に声かけました。参加者とか内容の発表は近いうちにできるかなって感じです。
あとは、今年は長編を一本冬のイベント合わせで頑張ろうと思います。まだ、ストーリーを練っている状態なので、ほとんど形になっているわけではないですが、時間の合間を縫ってちまちま仕上げていこうと思います。お楽しみに。
ということで今年もよろしくお願いします。
コミケ89参加します。
です。新刊はThe Smoke Book 3です。ページ数は表紙込みで60ページ、頒布価格は500円です。今回はいつもより薄いのでワンコイン価格にしました。
土日しか自由な時間が取れないので、入稿してきました。本当はぎりぎりまで粘りたかったけど、そんな悠長なことは言ってられない状態で、作者としてはそりゃ、不満もないわけじゃないけど、折り合いをつけてどうにかエンドマークつけましたよ。平日は仕事で原稿が殆どできなくて、色々と死にかけました。フルタイムワーカで同人活動をやるのは相当キツかったです。
今回の表紙は阿野史さんから伊崎美悦さんに変更となり、新たなイラストレーターを迎えたことで、また新たなスモークのヴィジュアル解釈が出来たかなと思っております。
今回の本の見所は、表紙がちゃんとついて、本文に文字が印刷され、ちゃんと日本語が書いてあるところです。ということでコミケ当日は宜しくお願いします。
続・消えゆくラムネ瓶の話
なんか、今朝からTwitterの方でラムネの話題がバズってるようで、その余波が私のアカウントにも、少々ありました。有難いことに過去記事『消えゆく『本物』のラムネの話』もアクセスが増えていて有りがたい限り。別にラムネマニアでもないんだけど、記事を書いていてよかったなと思った。
個人的には、これを期に、あの特徴的なラムネ瓶(コッドネック・ボトル)についての知識が少しでも広まってくれれば有難い限り。フルガラスの瓶は既に製造機械も型もなく、今ある瓶を洗浄・消毒してどうにか生きながらえている。それがまだ安い値段で飲めている。それだけわかってくれれば。
私は『あの件』にに関しては特に言うことはないんですが、一言だけ言うとしたら、ラムネ自体が日本で一番安い炭酸飲料というポジションだったこと、成り立ちとして一般的に取るに足らないようなものだった以上、今までどおり安く提供する以上、定期的に起こる事故ではあるだろうと思います。
ここでするべきは、特定の誰かを悪人に仕立てあげ攻撃することではなくて、これを期にどう対策を立て、一般の人に啓蒙していくか。それだけだと思います。というか、起こったことを攻めてもどうにもならないので、事故をデータベース化して、対応を考え同じ事故が起こらないようにする。それだけだと思います。
ラムネの存在自体現代では危ういものです、流通販売できるのがローカルに限られる。製造するところも抽象や個人商店、ビンは重いし、流通も広範囲になればビンが回収できないので、フルガラスの再利用可能なリターナブルボトル自体、流通が活発になった現代で生き残る合理的な理由がないものだから、どうやっても消えていくしか無いんです。
だから今でも飲めること自体が奇跡と同様なんです。きっと。毎日飲むようなものでもないし、特別これが飲めないと死ぬようなものでもない。それが現実。
私もこの夏、時間があった際、柴又にラムネを飲みに行きました。自分の地元にあったラムネにどことなく似ているんだけど、でもやっぱり子供の頃飲んだラムネの味そのものではなかった。
小学校前の駄菓子屋の風景もなければ、子どもたちの姿もない、決定的に何かが足りない喪失感のほうが強かった。ラムネのガラスの飲み口の感触がリアルであればあるほど、余計に強調されてしまって奇妙な感覚に陥ってしまった感じがある。
結局のところ、自分にとってのラムネって味とかよりも子供時代の思い出とか、記憶を味わうもので、記憶の引き金(トリガー)なんだろうな。ラムネというのは記憶を味わうためのものになってしまったということだろう。
まあ、本気でフルガラスビンでラムネを飲みたい、作りたいというのなら、今すぐ行動に移さないと多分後がないんじゃないかな。幸いなことに、素晴らしきインターネットの世界というべきだろうか。ネットでCodd bottleを探せば、インドの業者が見つかる。日本に輸入できるかは知らんけど、英語は通じる(多分)。
ビンの質や、規格が日本のものと同じとはいかないかもしれないけれど、それでもないよりはマシなレベルにはなると思う。ラムネを作っているのは、本当に中小の個人ばかりだから現実的な方向に行くかはわからないけど。復活の希望は、まだどうにか残されているかもしれない。
http://www.indiamart.com/khandelwal-glass-works/
http://www.tradeindia.com/fp144465/Codd-Bottles-Making-Machine.html
【告知】秋の参加イベントについて
一応秋口のイベントの配置が決まりましたのでご連絡いたします。
MOZA MOZAは
なお、スケジュール上色々ありまして、今回は新刊出せません。既刊のみの頒布となります。
更に、お伝えしないといけないお知らせがあります。残念なことにイラストを担当しておりました阿野 史さんですが、連絡があり現在病気で入院中とのことで、残念ながら今回のイラストを辞退されました。個人的なことなので病気のことについては詳しくは伺わなかったのですが、現在は絵を描ける状況及び環境ではないとのことです。
まあ、生きていればどうしても、体調の悪い時、なにも上手く行かない時、どうしょうもない時って言うのはありますから、しょうがない。誰だってそういう状況に置かれることは、ままありますからね。The Smokeはブロマガから始まった作品であり、史さんとの出会いもブロマガだったのですごい残念ではあるんですけど、またいつか組めることを期待しましょう。
後任に当たりましては、伊崎美悦さん (@blended_fibers)にイラストをお願いすることになりました。私個人としては、昔、別名義でPixivにあげていたイラストを拝見したことがあり、それから数年後、何の因果か同人イベントで仲良くなるという不思議な経験をしました。ありがたい事に私の小説も気に入ってくださり今回、表紙を描いてくれることになりました。
そのため現時点では、秋口のイベントには新刊を出せない状態です。一応現時点では冬コミ合わせの方向で作業していますが。当落結果によっては二月以降に持ち越しとなるかもしれません。
プライベートでは、転職しまして。一応、都内でフルタイムの常勤講師をしています。定期的に繁忙期があり、雑務もそこそこあって、早めに帰れる時もあるけどあんまり定時で帰れない感じです。一応、今はペースを掴むためにあんまりプライベートに時間を避けない状況なので、宣伝とか、ブロマガも控えめになるかもしれません(もともと、そんな更新してねーだろというツッコミはナシで)。
こんな状況ですが、これからも同人サークルMOZA MOZAを宜しくお願いします。それでは!
ささやかだけど大切なこと(かもしれない)
周りを差し置いて自分の快不快や利益を追求し過ぎないこと、主張し過ぎないことっていうのはとても大事なことだと思う。こういうのって、善意や正義感の強さからくるものだから、一概に否定はできないんだけど、純粋な正しさって結構しんどい。
いくら正しくても、正しさをつきつけるというのは、結構残酷です。いくら言っていることが正しくても、現実問題どうにもならないから、妥協点として今の現状があるような場合だと、相手が現状で苦しんで、一人の力じゃどうにもならないのにさらにプレッシャーを掛けているだけだったりします。
相手のことは、どうやっても完全には理解できないんだけれど、それなりに相手への尊敬や好きになる気持ちって大事だと思う。同人とかだったら、一緒になにかやろうとするときは、その人の作品を何作か手に入れて、実際に読んでこの人にアプローチを取ろうとかっていうことをするわけだし。今、手に入れられる情報を手に入れるだけ手に入れてリサーチするわけだしさ。
主張する前に、時間が許す限り、観察したり、そのチームのやり方を一通り踏襲してみたり、とりあえず文句言わず、言われたことを言われたように普通にこなすってのは大事だと思う。こうありたい、こうなりたい、理想に近づけたい、近づきたいって思うほど、どうして今はこんな状況なのかを考える。
大したことじゃないけど、気を使うっていうことなんじゃないかな。気持ちのない上辺だけの言葉で取り繕うよりも、まずは、実際に中にはいって空気に馴染む、当たり前のことを当たり前にやる。そういうことが結局は信頼とか、信用とかそういったものに繋がってくると自分は思っている。
【小説書き向け】InDesignで挿絵を入れpdf化した際、トンボの部分が切れてしまう時の対処法【同人ノウハウ】
でも、同人小説向けのインデザtipsってあんまり無いんですよね、もうちょっと小説書きで色々共有できたらいいんですが、なかなか話す相手もいないので、とりあえず自分が対処できた問題は気がついた時に載せていこうかなと思います。
同人印刷所は印刷所さんが面付けしてくれるので、pdfファイルを見開きではなく、単ページ設定で書き出し、入稿しているのですが、そうすると普通に原稿を作って、挿絵を入れてpdfにすると、赤丸をつけたように、ノド側のトンボの部分の画像が切れて、次頁のノド側に切れた部分が配置されてしまうんですよね(下の画像参照。クリックで拡大出来ます)。
ちょうど入稿前だったんで、あまり時間もなく、これをどう対処すればいいんだ? と焦りながら考えていたのを覚えています。まあ、トンボの部分は裁断されてしまうんで、問題ないといえば問題ないんですが、なんか気持ち悪いというか、不完全な感じが嫌だったんで、どうやたら解決できるかということで数時間悩んでました。
最終的にたどり着いた結論は、挿絵だけ独立ページの設定にするということでした。
見開き設定で原稿作っていても、入稿する際は単ページのデータだし、同人誌はほとんどが折丁ではなく殆どがペラ丁合なんだし(ココらへんは印刷所によって違う?)、挿絵イラストは独立したページにしちゃえということで、以下の方法をとってみました。
[選択スプレッドの移動を許可]にチェックを入れ、ページウィンドウの方の挿絵のページをドラッグ&ドロップします。これで、見開き設定が外れ、独立したページができます。
そして書き出し。
書き出しの設定のところでトンボをつけて、書き出してみます。
結果はこの通り。こうすることで、挿絵が切れず1ページに収まった原稿が出来上がりました。挿絵を入れる際にはお試しあれ。
下手くそでも丁寧に
自分もあの頃はその意味がわからなかったし、下手は下手なんだから比べたところで誤差の範囲内みたいだし、最悪の場合下手すぎて原因を探る以前に何をやればいいのか判らないことの方が多かった。結局その意味がわかるようになってきたのは二十代を超えて、色々なことを自分でやるようになってからだ。
実際問題、同じ物でもほんの少しの差で選ばれたり、選ばれなかったりという違いはある。
本屋さんとか見ればわかるけど、片方の方は本のジャケットやカバーが傷ついたり、本文用紙が酸化して黄ばんでいる、片方は目立った傷は見当たらない。もちろん本の内容は一切関係ない。でも、大半の人が選ぶのは見た目がきれいな方だ。他の物にしたって、ひとが使うことで付加価値が上がるもの以外は新品に近いものが好まれる。
特に日本では、高温多湿のお国柄ということもあって、物が傷みやすい風土であったがゆえに極端なほどの新しい物信仰がある。良いか悪いかは別にして、それが現実だ。
似たようなものが二つあったとき運命を大きく分けるのは、ちょっとした小さな差なのだ。人間関係においてだって、恋人になるかならないかだって、日頃のちょっとした生活態度や気遣いが決め手となる時もあるわけだしね。
人間は客観的な事柄においては思った以上に細かい点に気がつくのではないだろうか? 丁寧か丁寧じゃないかとかそういったことは、思った以上にに判別できる。それ以外にも言語化するのは難しい事柄にしたって、『あ、こんなところに気を使っているんだな』とか、『こんな細かい作業をしているってことは、手間と時間がかかっているんだろうな』という無意識の情報量の差みたいなものには敏感に感じ取れるんものなのだろう。
プロかプロじゃないかの差、一過性のブームと日常に定着するものの違い、そういったものの差はきっとこういうところにある。
もしあなたが、そういうのが判断できるなら、気付けた部分に対する投資や資本投下は惜しまない方がいい、ケチっては駄目だ。他の人の目が気になるかもしれないが、周りが賛同していなくてもなにか感じるものがあるなら、感情・感性に素直になること。それはきっとあなたのためになる。かけがえの無いものになるかもしれないし、運命かもしれない。
作る側にいる人は報酬や、対価、時間に兼ね合いはあると思うけれど、その限られた制約の中でも、その他以下で許容できるラインでいいから、時間が許す限りネガティブ要素をつぶした方がいい。というかネガティブ要素を限界までつぶせ。そして今出来る最善を尽くせ。
その気持を実行していれば、貴方にもちょっとしたきっかけで幸運が舞い降りるかもしれない。
十年ひと昔
処分したのは2003-2005年くらいの雑誌類であるニュース雑誌やら高校時代に買ったファッション誌やらオタク雑誌やら、内容は千差万別。とは言えその年号を見ると十年も過ぎてしまったのか……と不思議な思いに駆られる。
2000年代の前半は、オタクに今のような市民権もメジャー感もなく、一般から迫害されていたという現実が、当時のオタク雑誌の文面を見てもひしひしと感じられた。ただ、エッジの聞いた作品がメインストリームに進行する兆しが見え始め、世間のパワーバランスが現在に近くなる予兆のようなものは既にあったのだなと感じた。
今の十代に信じてもらえるかは分からないが、1998-2004年ごろまでエロゲはオタクの教養であり、表現のトップを走っていた。当時は不景気で純度の高い文学青年崩れでさえ、自分の表現ができるということでエロゲライターを目指す奴がいた時代だ。ちょうどその頃(2006-2010年)に自分も大学の文学部に籍を置いていたので確かに間近にそういう奴がいた。割と真面目に文学をやっている奴のほうが程度の大小はあれエロゲやラノベを嗜んでいた。(無論例外はある)
2005年辺りになるとそれらのライター、イラストレータ含め、ライトノベルや、商業の世界に進出(もしくはヘッドハント)し、今でも名が通っている人が多い。それだけ能力のある人間がエロゲ界隈に溢れていた証拠だろう。
あの頃は、今より何倍も窮屈で、俺達のようなオタクは思いつめていることしか出来なかった。故に泣きゲーのような鬱屈とした表現とわずかの『救い』みたいな表現に熱狂できたし、自分の内面というものに向き合ったからこそ、それをアウトプットに活かせた時代だったのかもしれない。
あれから十年が過ぎ、自分たちの世界は少しずつ変化している。ささやかな変化なので、あまり変わってないように思えるけれど着実に変わっている。自分もその分だけ年を取った。
こういうのはある一定のところで振り返らないとわからないものだ。連続した時間軸より、切り取った時間軸のほうが変化に素早く気づける、というより世界は気づかないうちに変わってしまうものなのだ。だからこそ振り返らないといけないのだ、新しい時代のために。
いつの間にかオタク界隈はクリーンで明るい日向の過ごしやすい世界になってしまった。昔のようなエッジの効いたアンダーグラウンドの世界には戻れないだろう。それでも、一つだけ言えるとしたら、あの鬱屈とした青春時代のような空気に比べれは、俺等は上手く生きることができている。